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事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

冠婚葬祭のひみつPART4

2015-03-10 | 社会・経済

The Clash - London Calling

PART3はこちら

(仏教の教えには葬式という発想がないにもかかわらず)なぜ葬式仏教とよばれるような存在に変わったか。すべてのはじまりは、1635年(寛永12年)ごろ、江戸幕府がキリシタン弾圧のためにもうけた寺請(てらうけ)制度である。日本人全員を近くの寺に帰属させ、寺には寺請証文(キリシタンではないことを証明する身分証書)を発行し、宗門人別帳に捺印する権限を与えた。
近世の寺は、宗教施設である以上に、警察(キリシタンの摘発)と役所(檀家の管理)を兼ねた、末端権力の一部だった。

……つまり葬式を請け負う以前に、寺が住民を“管理”しているのだ。そう考えれば、過去帳という存在に、違った性格も見えてくるじゃないですか。
 そんなお寺が主導する葬儀は、本式にやれば延々と行列を組むなど、かなりめんどくさいものだったらしい。そこで生まれたのが『告別式』という制度だ。

告別式のルーツもほぼ特定されている。1901年(明治34年)12月17日に行われた思想家中江兆民の葬儀。無神論者だった兆民は、大げさな葬列を組んで練り歩く仏式の葬式を好まず、遺体は解剖の後、すぐ火葬にするようにと遺言。遺族と友人、弟子らが相談し、「告別式」の名で、今でいうお別れ会みたいなものを青山斎場で開いたのである。

……またもやびっくり。ここで中江兆民の名が出てくるとはなあ。逆に言うと、中江兆民以前には告別式って存在しなかったのだ。新しい。

あとで結婚式の項でも紹介するけれど(あっちは皇族だ)、このように冠婚葬祭には、システムを無視する(それまでの常識からすれば)とんでもない事例がまずあって、しかし世間の大半が内心では変えたいと思っている方向に一気に誘導するのだ。徹底した唯物論者であり、奇行で知られた兆民が始めたことであったとしても。

現代におけるホール葬をそれでは考えてみよう。以下次号

本日の一曲はクラッシュ「ロンドン・コーリング」。ジョー・ストラマーが死んでから、もう十年以上になる。

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