芸談というのは、基本的に“師匠”が“弟子”に伝えるのが本筋。
もちろん高名な評論家が、注釈を入れながら半生を語らせるのも趣があるけれども、基本は、まだ拙い芸しかもっていない年少者に語り聞かせる芸の真髄(コツ、と言ってもいい)を伝授するものだ。その語り方に芸があるのが真の師匠というべきで、桂米朝が文字どおり人間国宝だったのは、知的で、外から落語をとらえる視線を持っていたからだろう。わたしが立川談志を苦手なのは、芸そのものよりも、人間談志が目の前に立ちふさがっているからだ。
この書における“弟子”は桂吉坊。米朝の孫弟子にあたる。童顔ここにきわまれり。この童顔は対談における一種の武器として作用しただろう。
小沢昭一、茂山千作、市川團十郎、竹本住大夫、立川談志、喜味こいし、宝生閑、坂田藤十郎、伊東四朗、桂米朝という偉大なる芸人たちが、吉坊に藝の真髄を遠慮会釈なく語っている。
対する吉坊も、この若さでどうしてこんなに古典芸能に詳しいのかと思ったら、中学を卒業したらすぐに落語家になりたかったのに、とりあえず高校は出ておけということなので、大阪府立東住吉高等学校に入学。なんとここには日本初の芸能文化科があるのだ。夢のような高校!
わたしがおそれいったのは市川團十郎のくだりだ。彼の遺言として読んでみてほしい。
「團十郎さんは、たとえば『毛抜』の粂寺弾正ですとか、『暫』の鎌倉権五郎のような人間離れしたお役をされるときに、役になりきるというような感じなんでしょうか。それとも、自分は自分としてあって、役は役というような……」
「そうですね、第三者的になることは結構多いですね。今は、役になりきったほうがいい舞台みたいに言われるけれども、歌舞伎の場合はそうでないほうがいい部分もあります。自分を冷静に見ているというか、やりながら、肉体を人形のように見るのですね。精神が後ろから見ていて、お前何やっているんだ、もう少しこうやればなんて、叱咤激励することによってその人形が動くみたいなね、文楽じゃないけれども、そういうところがあると思います。自分がなりきっちゃうと、そういういうことができなくなる。お芝居の中での揶揄する言い方ですが、『あれは車輪だから』と、こういう言い方をします。」
「車輪?」
「車輪。もう夢中になって一生懸命やっていると『車輪だよ』と言われるんですね。でも車輪でやっているほうが、なりきって泣いて笑っているほうが、当人は気持ちいいんですよね、間違いなく。一生懸命もうこれ以上ないみたいな気持ちで、『どうだ』とやっていると、お客様がシラッとしている場合がある。」
……これは、藝だけじゃなくて、わたしたちの生活にも言えることですよね。車輪になってる人って多いじゃないですか。にしても、まだ若い落語家の吉坊に、この連載をまかせた今は亡き「論座」の編集者も藝があるなあ。