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川西町に生まれた井上ひさし(隣家に疎開してきたのが亡くなった白川由美)が、過酷な幼少期を経て仙台のキリスト教系の養護施設(つまりは、孤児院である)で育ったことはよく知られている。両親の駆け落ちの果てに生まれた彼は、戸籍上は非嫡出子だった。
共作者の山元護久もまた、私生児として生まれ、武井さんも前に紹介したように家庭的には恵まれない人だった。
つまり「ひょっこりひょうたん島」は、家族というものに愛憎相半ばする思いを抱いていた人間たちによって紡ぎだされた作品なのだ。
だから住人のなかで冷静な判断を下すのは常に子どもの方であり、大人たちはやりこめられる対象だった。家父長制に代表される封建的なるものを徹底的にコケにした番組だったのである。その意味で、子どもたちは熱狂したし、眉をひそめる大人の視聴者もいたのだとか。
ファンの代表が、いかにもな人だったのには笑った。
羽仁進さんのお嬢さんの未央さんがまだ四歳か五歳の時、ひょうたん島のスタジオに見学に来られたことがあります。人形たちが未央さんを迎えると、未央さんはトラヒゲがお好きだったのでしょうか、駆け寄って「トラヒゲさん、好きよ!」と叫びながら、トラヒゲを抱きしめて頬ずりしたあの可愛いお姿は、今でもはっきり覚えています。
羽仁さんは、放送がすべて終わったあと、わざわざ私をご自宅に呼んで、奥様の手料理でもてなしてくださいました。このときのありがたいお心遣いには涙が出ました。
羽仁と左幸子(のちに離婚)の娘である未央がファンなのはよくわかるなあ。奔放に育てられた彼女をメディアは面白おかしく報じたりもしたけれど、エッセイストとして……ええええっ、彼女は亡くなってたの!?うわあ(享年50才)。
さて、井上と山元の共作のやり方がとんでもなかったのでこれはぜひとも紹介しなくては。以下次号。