事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「関ヶ原」(2017 東宝=アスミック・エース)

2017-08-30 | 邦画

わたしたちは関ヶ原がどのような結末を迎えたかを知っている。日本のほぼ中央で、ふたつの勢力が激突。ある人物が寝返ったことで、この大勝負はわずか半日でけりがついてしまう。

司馬遼太郎作品は、良くも悪しくも“賢人の回顧談”の色彩が強いので、こういう結果になるのは不可避だったように常に思える。原作の映画化を切望した原田眞人は司馬の、“歴史を思い切り上から見る=鳥瞰する”姿勢に共感したのだろう。理解できます。誰かがやらなければならない仕事だし。

にしてもこの争いには不可思議なことが多すぎる。

・なぜ石田三成はあっさりと負けを認めてしまったのか。フランチャイズの近江に退く選択肢は歴然としていたのに。

・家康が城攻めが苦手であることを承知しながら、なぜ野外で戦ったのか。

・本当のところ、小早川秀秋は東西どちらにつきたかったのか。

……この映画は、よほど史実を検証したのかこれらの疑問に一定の回答を示してくれます。騎馬で疾走し、背面まで気をはらった殺陣を行う役者たちはおみごとだし(特に島左近役の平岳大)、長大な原作を150分にまとめるためにセリフがチョー早口なのも気にならない。

ただし、去年の「駆込み女と駆出し男」「日本のいちばん長い日」ほどには興奮させてくれない。それはすべて、石田三成(岡田准一)という男を主人公にすえたことによるのではないか。彼は確かに正義を完遂するが、もしも西軍が勝っていたら、果たしてどんな治世が待っていたのかと考え込んでしまうのだ。

確かに徳川家康(役所広司)のやり方は不正義かもしれない。しかし、正しさが何より優先される世に、わたしは住みたいとは思わないのだ。まあこれは、わたしがめずらしく家康好きな人間だからかも。

映画の出来に文句ありません。関ヶ原の敗戦と三成の斬首にタイムラグがあることを利用し、それぞれの戦後を描いてすばらしい。

三成が愛した女忍者(有村架純)に、普通の監督ならラストで延々と尺をとるところだが、油断していると見逃すほどのカットにしたのはスマート。次は、同じスタッフで「城塞」をぜひ。だって原田組常連のキムラ緑子の北政所がこれでおしまいってのはもったいない。あれ?木場勝己はどこに……おおおお、まさか司馬遼太郎役とはっ!

コメント (2)
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