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あの「十三人の刺客」の話も。監督、三池崇史の証言。
「山形県庄内町にセットを組んで、ラスト五十分の立ち廻りだけに二十日かかりました。東映版(63年。主演片岡千恵蔵)の敵は五十三人ですが、僕のは二百人にしました。松方さんを東映版にはない『年寄りなのにいちばん強い』キャラクターにしたのは脚本の天願大介さん(今村昌平の長男。現日本映画大学学長)と僕です。松方さんの殺陣になると、俳優たちがみんなぞろぞろ見に来るんです」
三池さん、庄内映画村(現スタジオセディック庄内オープンセット)は庄内町じゃなくて鶴岡市にあるのでよろしくね。それはともかく、あの映画では確かに松方弘樹の殺陣だけが他と歴然と違っていた。“時代劇の伝統”をひとりで背負っているかのように。
「僕は諸先輩のまねをしているだけです。それぞれの色や味があるんです。(嵐)寛寿郎さんには寛寿郎さんの、阪妻さんには阪妻さんの色があって、千恵蔵先生も右太衛門先生もそれぞれの型があって違うもの。うちの父親も、勝(新太郎)さんもしかりです。若山(富三郎)さんも上手いですよ、立ち廻り。富兄ぃはとくに槍が上手かった」
松方は左利きを矯正するために他人以上の努力をしていたのである。日本一立ち廻りがうまい役者と言われていた、近衛十四郎の息子としてのプライドもあったわけだ。
「柳生一族の陰謀」は、巷間伝えられていることが本当だったことがわかりました。
「錦兄ぃの芝居に誰もついていけないんですよ。錦兄ぃが120%の熱演じゃなくて80%くらいまで落としてくれると、みんなついていけて、そのシーンはすごくバランスがよくなるんです。でも錦兄ぃは全力で、120%出し切ってやりますから、共演者がアップアップなんです。」
このバランスの悪さこそが、あの映画を傑作たらしめたのかもしれないのだが(笑)。以下次号。