事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

惨敗のお話をもう一席。

2019-10-25 | スポーツ

最初のお話はこちら

あれま。ニュースをチェックしてたら原監督までDH制の導入を訴えている。戦った当人だからひしひしと感じたんでしょうね、セとパのレベルの違いを。

もっと正確に表現すれば、セとパは違う野球をやっているわけじゃないですか。

セ・リーグのピッチャーの立場になってみましょう。彼らは8人の打者に対峙し、1人は休みだ。相手チームのピッチャーの打撃がいいとしても(子どものころからエースで四番だったとしても)、打撃に関しては専門外なバッターが少なくとも3イニングに1回は打席に立ってくれるのだ。

もちろん、犠打の可能性はあるけれども、長打はおよそ期待できない。これはうれしいはずだ。というかセ・リーグのピッチャーにとってはこれが日常。

しかしパ・リーグは違う。打者全員と(ほぼ)同じように気を払って投球する必要がある。

ピンチヒッターという存在を忘れてはいないかと思われるかもしれない。しかしピッチャーの打順で代打が送られることが多いからこそ、セ・リーグのピッチャーは、おそらく1試合における投球回数はパ・リーグよりも短いのではないか。

ここで保守的な(わたしは高野連を念頭に置いているけれども)野球人たちは

「それこそが本当の野球だ」

と主張することが多い。緻密で、コクのある展開はピッチャーが打席に立つからこそ、とか。興行目的で導入した指名代打制度など邪道だと。もっとひどい理屈は、ピッチャーが打席に立たないとなれば、もっときつい内角攻めが横行するとか。もっと選手を信用しろよ。

しかし結果としてどうだろう。日本シリーズは7年連続してパ・リーグが制し、交流戦は15年間で14回パ・リーグが勝ち越しているのだ。

もちろんDHだけが原因ではないだろう。しかし、パ・リーグが1軍でセ・リーグが2軍のような印象を与え続けるかぎり、日本プロ野球の未来は暗いと思うのだ。少なくとも、日本シリーズがあんな視聴率に終わるような事態を、座してみているようなNPBではないと信じたい。信じたいけど……

本日の1冊は「アベルVSホイト」トマス・ペリー著 ハヤカワ文庫
こういう、読者サービス満点の作品をこれからもっともっと読んでいくんだ。晩年ってそれでしょ。そうなんでしょ?

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「YMOのONGAKU」その2

2019-10-25 | 音楽

COSMIC SURFIN' - YMO 1979 LIVE at THE GREEK THEATRE

その1はこちら

アルファレコードは商売として最初は大成功だった。独立前はなんとあの外車ディーラー、ヤナセと組んでいたとか。初耳。

荒井由実赤い鳥、ガロを抱えていたし、独立後の稼ぎ頭は当然YMO。まあ、それからいろいろあってショービジネスというのはしんどいものなんだなあということの典型例になっている。

これまたYMOの諸作に参加したことで有名な松武秀樹との対談では……

藤井:坂本さんとの最初はなんだったんですか?

松武:りりぃが渋谷公会堂でコンサートをやることになって、そのオープニングにモーグで作った鐘の音を鳴らしてほしいという依頼があったんです。当時、りりぃのバックのバイ・バイ・セッション・バンドに教授がいて、そのときにシンセの使い方なんかの話をしたのが初めて。

……友部正人の次はりりぃだったのか。教授も最初はそっちの仕事が多かったんだね。そして1978年11月25日にYMOのデビューアルバム「YELLOW MAGIC ORCHESTRA」が発売される。おなじみなのは「コズミック・サーフィン」や「東風」「中国女」だろうか。その「コズミック・サーフィン」の録音におけるエピソード。

藤井:とにかく、YMOの演奏が本当にうまい!クリックを聴きながらこのグルーヴ感で演奏できるのは、今でもこの三人だけではないだろうか、と思わせるほど、このリズムトラックは神がかってさえいます。

松武:そう、本当にすごい。

藤井:録音当時のアシスタント・エンジニアだった齊藤さんから、この曲のリズムを録り終わった三人が、レコーディングルームから戻ってきながら「俺たちは世界一だ」と言ってたという話を聞いたことがあります(笑)。

……シンセやプログラミングのイメージが先行したYMOだけど、でもやっぱりバンドとしてすごかったことが理解できます。以下次号

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