事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

惨敗。

2019-10-24 | スポーツ

さて、と。もう野球の話をしてもいいですか。

巨人は日本シリーズ惨敗。セ・リーグの恥とか言われまくり。ただでさえ嫌われている球団はこういうときしんどい。

クライマックスシリーズであんなに盛り上がっていたわたしなのに、日本シリーズは一度も見ようと思いませんでした。

あ、それは会議とかお通夜とかがあったためで、ラグビーのためでは断じてありません。同じ時間帯で放映されていたらしいですけど、見るとしたら野球を選択しましたよ。わたしはひねくれ者。

なぜ見なかったかと言えば、ソフトバンクに勝てる気がまったくしなかったからです。どうにも気が重かった。

敗因はいろいろとあるでしょう。

・短期決戦なのにペナントレースと同じような選手起用しかできなかった

・ルーキーを先発させるなど、選手層が薄かった

・経験の浅い選手が浮き足立っていた

・特に投手交代がいつものようにわけわかんなかった

・CSでの丸のセーフティスクイズが賞揚されていたけれど、本人が自分の不調を誰よりも理解していた

もちろん

・ソフトバンクが強かった

のは承知しています。地元の星、長谷川勇也の活躍はうれしい。誰が投げてもグラシアルとデスパイネは抑えられる気がしませんでしたし。

でも今朝、布団のなかでつくづく思いました。戦力に差があったんじゃない、それ以上にセとパでは既にレベルが違ってるんじゃないか。

最も大きな要因は……そうです。指名打者制度でしょう。明日につづくっ

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「YMOのONGAKU」藤井丈司著 アルテスパブリッシング

2019-10-24 | 音楽

YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)と聞いて、若い人たちはどのように感じるのだろう。

細野晴臣高橋幸宏坂本龍一という個性豊かで才能にあふれたミュージシャンたちは、いまではすっかりビッグネームになっているから知識としてはもちろんみんな持っているのだとは思う。でも70年代末から80年代初めにかけての祝祭のような彼らの活動は、リアルタイムで聴いていたわたしの世代でもよくわかっていないことも多い。

この本は、アルバム「増殖」から「散開」まで、YMOのアシスタントやシンセプログラマーとしてその祝祭につきあった藤井丈司(ライナーノートでおなじみの名前)による回顧録、というかYMOへのオマージュだ。

この年(1975年)、坂本龍一はフォークシンガー友部正人のアルバム「誰もぼくの絵を描けないだろう」で初めてポップス作品のレコーディングに参加する。

「ある日、ゴールデン街で飲んでいるときに、たまたま友部さんが入ってきてぼくの隣に座ったんです。フォークは嫌いで聴かなかったんだけど、たまたま隣に座った友部さんと話してみたら、すごく面白かった。『現代詩の詩人みたいだな』と思った。すっかり意気投合して盛り上がって、明日レコーディングがあるから来てくれないかと言われた。スタジオでレコーディングするということ自体、ぼくにとって初めての経験でした。」

細野晴臣ははっぴいえんど、高橋幸宏はサディスティック・ミカ・バンドという前歴があったけれど、坂本龍一にはそのようなメジャーな活動はなかった。その後、大貫妙子山下達郎のシュガーベイブ組との交流が始まるわけだけど、まさか最初が友部正人とは!ちなみに、坂本と幸宏は78年に矢沢永吉のシングル「時間よ止まれ」にも参加しています。

設立されたばかりのアルファレコードがまず最初に何をしたかといえば、細野へのプロデューサー契約のオファーだった。

「アルファが独立したときに記者会見があって、とっさにイエロー・マジック・オーケストラっていう名前を思いついたんで、それをやりますと発表しちゃったんです」

大丈夫かYMO(笑)。以下次号

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