私がホタルと出会ったのは、今から49年前。千葉県松戸市の水田でヘイケボタルを見たのが最初であり、それが始まりである。
ヘイケボタルの生態については細かく調べ、飼育では1976年に羽化させるまで成功させている。11月21日に羽化させ、26日間生存させたこともある。1978年には、昆虫愛好会月刊誌「インセクタリウム」において「ヘイケボタルの研究」を発表し、同年に東京動物園協会より奨励賞を受賞、NHKの朝の番組にも出演するなど、ヘイケボタルとの昔の思い出は多い。
昨今では、ゲンジボタルの保護保全、環境再生等に多く関わっているが、ヘイケボタルを忘れたわけではない。やはり、私にとっては大切な昆虫であり、今回、千葉県の生息地を訪れた。残念ながら、49年前にヘイケボタルと出会った千葉県松戸市の水田は今はなく、房総方面の水田を訪れた。
そのヘイケボタルの水田は、先月28日にゲンジボタルの観察で訪れた場所と同じである。(記事:ゲンジボタル(東日本型))当地は、ゲンジボタルよりも一か月遅れてヘイケボタルが発生する。昨年と一昨年に観察した東京都八王子市川町の谷戸のようにヘイケボタルとゲンジボタルが同時に発生し、両種が同じところで乱舞するいわゆる「源平合戦」が見られる生息地も全国にはいくつもあるが、ほとんどの所はヘイケボタルの方が発生は遅く、地域によっては、8月になってからという所もある。
今回、現地には25日の17時に到着し、18時より準備を開始した。農家の奥様お一人ずつお二人に「ホタルですか?」と声を掛けられ、色々とお話を伺うことができた。お一人は田んぼの管理をされているとのことで、聞けば、農薬を空中散布したと仰っていた。年々、ゲンジボタルが谷戸の最奥の湿地に追いやられている原因が判明した。おそらく、来年以降も水田脇で乱舞するゲンジボタルは見ることができないだろう。
では、ヘイケボタルはどうなのだろうか?私の親友が先週訪れたらしく、数は多かったとの事。この週末が最盛期だろうとの連絡を頂いているので、いつもの田んぼ脇にカメラをセットした。今回は、映像が主目的である。2年前にも映像を撮っているが、1分ワンカットのみであったため、若干違う光景を残したかった。「いつもの田んぼ脇に・・・」谷戸には、いくつも水田があるが、ヘイケボタルが発生する水田は1つなのである。数頭が他の田んぼでも発光したり飛翔もするが、幼虫が生息しているのは、おそらく水田一枚である。その水田は、一年を通じて部分的に水が溜まった場所が存在しているのである。
6月21日が夏至で、日の入りは18時59分。なかなか暗くならない。いつもどこでも、ホタルの生息地では日の入り時刻のかなり前から待機しているので、目が慣れて、余計に暗さを感じない。それでも、19時半に畔の草むらで1頭が発光開始。20時頃には50頭以上が発光飛翔していたのではないかと思う。それもいつもの範囲内だけである。
ヘイケボタルの発光は、映像をご覧頂くと分かるようにゲンジボタルと違ってオスがリズムを合わせる集団同期明滅はない。淡い黄緑色の光で1秒に1回程度、不規則に弱く発光する。勿論、地上で発光するメスを探すためである。オスの発光を見たメスは、地上で光る。それを見つけたオスはメスに近寄っていき、光によるコミュニケーションが始まる。何頭ものオスが1頭のメスに集まるが、一番強く発光するオスが選ばれるのである。
農薬とホタルについて
ヘイケボタルの発生状況を見る限り、農薬の空中散布の影響は、まったく感じられない。今回、農薬の種類までは伺っていないが、ヘイケボタルは極めて毒性の強いものでない限り、一時的な散布では壊滅的な打撃を受けることがないと言える。ただし、ゲンジボタルは大きなダメージを受けて水田近辺は発生がほぼゼロであり、他の地域では、ヘイケボタルも姿を消してしまったという話も聞く。
ヘイケボタル同様に水田に生息するトンボ類も各地で減少傾向にあるが、近年、水稲栽培で用いられる浸透移行性の育苗箱施用剤、特にネオニコチノイド系殺虫剤の普及が原因となっているのではないかと指摘されており、これに関して国立環境研究所が実験水田を用いて、水稲栽培で用いられる新タイプ稲作農薬が、トンボ類を含む水田の生物相に対してどのような影響を与えるのかを調べている。
実験では、現在国内でも広く使用される浸透移行性殺虫剤3剤、クロチアニジン(ネオニコチノイド系)、フィプロニル(フェニルピラゾール系)、及びクロラントラニリプロール(ジアミド系)を用いて行われている。その結果、いずれの農薬も、水中濃度は田植え後最初の2週間で急速に減少し、3か月程度で検出限界レベルまで減少するが、土壌中濃度は田植え後から徐々に増加し、土壌中に長期間残り続けることが分かった。また、3種の殺虫剤のうち、特にウンカ類やカメムシ、イネドロオイムシの防除に使用されているフィプロニルは、トンボ類の発生数を顕著に減少させることが分かっている。
トンボの幼虫は水底で生活し、時には稲の茎等で静止するが、ヘイケボタルの幼虫は土壌に潜ることが多い。国立環境研究所の実験にはヘイケボタルに関するデータはないが、トンボ以上に影響があることは容易に想像できる。
従来の農薬は、DDTなどの有機塩素系農薬から有機リン系農薬、そして浸透移行性殺虫剤へと移行した。現在の稲作では、殺菌剤と除草剤に殺虫剤を加えて散布するのが一般的で、殺虫剤には浸透移行性殺虫剤のフィプロニルが多用されている。浸透移行性殺虫剤は、生産者にとって使い勝手が良い。農薬の散布回数が少なくて済むので「減農薬」登録ができるのである。農水省も“減農薬”推進のために浸透移行性殺虫剤は欠かせない農薬として位置づけているのである。
農作物の栽培において殺虫剤は害虫の発生をコントロールするために必要な薬剤である。トンボやホタル、ひいては生態系や生物多様性に対する影響に配慮しながら使用して頂きたいが、それは非生産者の勝手な言い分である。法人化し販路も独自に開拓できる農場・農家であれば、殺虫剤を使わない有機肥料無農薬栽培で環境保全型農業をアピールしたり「ホタル米」などのブランド力で販路拡大もできるだろうが、現在の日本のほとんどの稲作農家は、農協の指導に従わなければならない。農薬の散布に関しては、地域ごとに日取りを決めて一斉に決められた薬剤を空中散布する一斉防除が当たり前である。自分の田んぼだけ外そうとすれば、周囲の農家から迷惑がられ、農薬の売り上げ低下から農協からの風当たりも強くなると言う。農薬の種類と使用量を自分でコントロールできる農家は、ほとんどないのが現実である。
千葉県のヘイケボタル生息地。地元の方も他地域からの観賞者も来ない。将に真っ暗な地上で瞬き煌めく小さな星々。20時半頃にり天空にストロベリームーンが顔を出すと、田んぼの中の銀河は徐々に消えていった。この懐かしく美しい日本の原風景。この日に撮影した写真と映像が最後にならないことを祈るばかりである。
参考論文
- A. Kasai, T. I. Hayashi, H. Ohnishi, K. Suzuki, D. Hayasaka and K. Goka. (2016) Fipronil application on rice paddy fields reduces densities of common skimmer and scarlet skimmer. Scientific Reports. DOI: 10.1038/srep23055
- 上田哲行,神宮字寛 (2013) アキアカネに何が起こったのか:育苗箱施用浸透性殺虫剤のインパクト.TOMBO, Fukui, 55: 1?12.
以下の掲載写真は、1920*1280 Pixels で投稿しています。写真をクリックしますと拡大表示されます。また動画においては、Youtubeで表示いただき、HD設定でフルスクリーンにしますと高画質でご覧いただけます。
ヘイケボタル(千葉県)
Canon EOS 5D Mark Ⅱ / Carl Zeiss Planar T* 1.4/50 ZE / バルブ撮影 F1.4 140秒相当の比較明合成 ISO 400(撮影地:千葉県 2021.6.25 20:00)
ヘイケボタル(千葉県)
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