子供たちにホタルを見せてあげたい。多くの方々の願いです。私もそう思います。ただ、私が見て欲しいと思うホタルは、カゴの中のホタルではなく、自然の中で舞うホタルであり風景です。
私が毎年訪れる千葉県南房総は、今でもすばらしい自然環境が数多く残されており、気候は一年を通じて温暖なため、関東で一番早くホタルが発生する地域でもあります。東京からは、首都高速、京葉道路と乗り継ぎ、市原からは一般道路を南下します。インターチェンジを降りてしばらくすると、谷戸(千葉では谷津という)から広がる水田と、その傍らにまっすぐに続く単線の線路が現れます。都心からすぐの距離でありながら「田舎」というイメージを強く心に刻み込んでくるほど、車窓の風景は、さわやかな風と共に一瞬にして私を虜にしてしまいます。幾重にも連なる緑の谷戸。おそらくどの谷戸を歩いても、多くの生き物たちに出会えるに違いありません。実際、モリアオガエルやトウキョウサンショウウオといった貴重な両生類も多く棲み、ホタルも7種類ほどの生息を確認しています。
こうした中を進むこと1時間。目的地は、江戸時代後期の人気小説「南総里見八犬伝」の舞台でもあるところです。こんもりとした茂みと、それに沿うように流れる小川。そして広がる水田。小川は護岸工事がされていない自然のままで、土手は草刈りもされていません。川底にはカワニナがびっしりとへばりついています。農薬は使っていないのでしょう。水田には大きなタニシが這っています。草の匂い、土の匂い、そしてホタルの匂いを感じます。ホタルの物理的・生態学的生息環境はすべて整っています。近くで農作業をしていた方に尋ねてみると、「ホタルなんかいっぱいおるよ」その幾分ぶっきらぼうな返事は、ホタルは珍しくもない普通の昆虫という印象を私に持たせるほど、あっという間に田園風景の中に吸い込まれていきました。
日没までの2時間。下を見ながらゆっくりと散策すれば、普段は気づかないものもよく見えるものです。新たな発見もあります。フィールドワークの大切さをかみしめながら周囲の景観と一体になる自分を感じる時、ホタルに対する強い思いが込み上げてきます。日が暮れれば、そこは正にホタルの楽園。ゲンジボタルとヘイケボタルが同時に舞う場所でした。民家も点在し、里山という人々の暮らしとともにある場所でありながら、ホタルを見に来る人は誰もいません。このホタルの舞う風景は、ここでは当たり前の事として、遙か昔から何ら変わることなく毎年続いてきたのです。そして、里山という豊かな自然環境が、ホタルを当然の存在として育て、身近な生き物として大切に守ってきたのだと改めて気づかされます。
現在、日本各地でホタルの飼育や養殖が盛んに行われています。水槽でたくさん飼育して、3月に小さなビオトープに幼虫を放流し、何百も成虫が飛んだと喜ぶ方々がいます。自然河川があるにも関わらず、河川の保全には目もくれず、その隣に何千万円という税金で人工的なホタルの小川を建設することも珍しくありません。ホタルが生息できない環境にも関わらず、イベント用として養殖業者から購入して何千匹と放す方々もいます。需要が多いために自前の養殖だけでは間に合わず、業者は、全国の自然発生地からホタルを乱獲して販売しています。地域固有種の保全など関係なく、遺伝子を攪乱します。外来種の貝を餌として撒き散らすことも平気で行っています。いずれもホタルの生態や生息環境など考えることもなく、すべて人間の管理の下にホタルを出すこと飛ばすこと、人々がホタルをみて楽しむことだけを目的にした行為です。
子供たちにホタルを見せてあげたい。そのためには、日本の原風景とも言える里山を保全・再生することが何よりも重要なのです。なぜならホタルは里山環境の結晶だからです。
自然環境の中で本来のホタルの姿を見るとき、こうした人間のわがままな行為を悲しく思います。ぜひとも、本来の風景を忘れないでいただきたいと思います。
人々のためではなく、ホタルのために 東京ゲンジボタル研究所/古河義仁
私が毎年訪れる千葉県南房総は、今でもすばらしい自然環境が数多く残されており、気候は一年を通じて温暖なため、関東で一番早くホタルが発生する地域でもあります。東京からは、首都高速、京葉道路と乗り継ぎ、市原からは一般道路を南下します。インターチェンジを降りてしばらくすると、谷戸(千葉では谷津という)から広がる水田と、その傍らにまっすぐに続く単線の線路が現れます。都心からすぐの距離でありながら「田舎」というイメージを強く心に刻み込んでくるほど、車窓の風景は、さわやかな風と共に一瞬にして私を虜にしてしまいます。幾重にも連なる緑の谷戸。おそらくどの谷戸を歩いても、多くの生き物たちに出会えるに違いありません。実際、モリアオガエルやトウキョウサンショウウオといった貴重な両生類も多く棲み、ホタルも7種類ほどの生息を確認しています。
こうした中を進むこと1時間。目的地は、江戸時代後期の人気小説「南総里見八犬伝」の舞台でもあるところです。こんもりとした茂みと、それに沿うように流れる小川。そして広がる水田。小川は護岸工事がされていない自然のままで、土手は草刈りもされていません。川底にはカワニナがびっしりとへばりついています。農薬は使っていないのでしょう。水田には大きなタニシが這っています。草の匂い、土の匂い、そしてホタルの匂いを感じます。ホタルの物理的・生態学的生息環境はすべて整っています。近くで農作業をしていた方に尋ねてみると、「ホタルなんかいっぱいおるよ」その幾分ぶっきらぼうな返事は、ホタルは珍しくもない普通の昆虫という印象を私に持たせるほど、あっという間に田園風景の中に吸い込まれていきました。
日没までの2時間。下を見ながらゆっくりと散策すれば、普段は気づかないものもよく見えるものです。新たな発見もあります。フィールドワークの大切さをかみしめながら周囲の景観と一体になる自分を感じる時、ホタルに対する強い思いが込み上げてきます。日が暮れれば、そこは正にホタルの楽園。ゲンジボタルとヘイケボタルが同時に舞う場所でした。民家も点在し、里山という人々の暮らしとともにある場所でありながら、ホタルを見に来る人は誰もいません。このホタルの舞う風景は、ここでは当たり前の事として、遙か昔から何ら変わることなく毎年続いてきたのです。そして、里山という豊かな自然環境が、ホタルを当然の存在として育て、身近な生き物として大切に守ってきたのだと改めて気づかされます。
現在、日本各地でホタルの飼育や養殖が盛んに行われています。水槽でたくさん飼育して、3月に小さなビオトープに幼虫を放流し、何百も成虫が飛んだと喜ぶ方々がいます。自然河川があるにも関わらず、河川の保全には目もくれず、その隣に何千万円という税金で人工的なホタルの小川を建設することも珍しくありません。ホタルが生息できない環境にも関わらず、イベント用として養殖業者から購入して何千匹と放す方々もいます。需要が多いために自前の養殖だけでは間に合わず、業者は、全国の自然発生地からホタルを乱獲して販売しています。地域固有種の保全など関係なく、遺伝子を攪乱します。外来種の貝を餌として撒き散らすことも平気で行っています。いずれもホタルの生態や生息環境など考えることもなく、すべて人間の管理の下にホタルを出すこと飛ばすこと、人々がホタルをみて楽しむことだけを目的にした行為です。
子供たちにホタルを見せてあげたい。そのためには、日本の原風景とも言える里山を保全・再生することが何よりも重要なのです。なぜならホタルは里山環境の結晶だからです。
自然環境の中で本来のホタルの姿を見るとき、こうした人間のわがままな行為を悲しく思います。ぜひとも、本来の風景を忘れないでいただきたいと思います。
人々のためではなく、ホタルのために 東京ゲンジボタル研究所/古河義仁