内閣府が9日付で発表した世論調査「自然の保護と利用に関する世論調査」の結果が明らかになった。調査は、自然の保護と利用についての意識を調べるため、5年ごとに実施されており、今年は6~7月に全国の20歳以上の3千人を対象に行われた。
結果によると、自然を保護することが「最も重要」と考える人の割合が、人間社会と保護との「調和」を唱える人を上回り、初めて多数派になったことが分かった。
自然保護についてどう考えるか、三つから選ぶ設問では、「人間が生活していくために最も重要なこと」が48%、「人間社会との調和を図りながら進めていくこと」が47%、「開発の妨げとなるなど不要なこと」が2%だった。なぜ自然保護が必要なのか尋ねた設問(複数回答)では、「気温の調節、二酸化炭素の吸収など人間の生存に不可欠な環境条件を整えるから」(47%)が最も多く、「生態系や動植物保護は重要だから」(37%)、「人間の心にやすらぎやうるおいを与えてくれるから」(同)が続いた。 自然保護に最も力を入れるべき地域では、「メダカやホタルなどが生息する里地や里山」「都市やその周辺の緑地や水辺」といった身近な自然を挙げる人が計8割近くを占めた。
近年、異常気象が相次ぎ、地球温暖化問題などへの関心が高まっていることが背景にあるようだが、これからは、具体的にどう自分たちが自然保護に参加し、日頃から何に取り組むのかが重要である。自然を保護保全することは簡単ではない。地権者の利益も守らなければならないし、人々の生活スタイルを崩すことはもはや出来ない。都市近郊のホタルが生息する里山を保全し、ホタルを保護するために、まず大切なことは、里山やホタルについて知識を深め、理解し、単なる観光目的で闇雲に訪れないことだ。
ホタルは、約三週間の間、夜に幻想的な饗宴を繰り広げるが、時期が過ぎれば多くの人々は無関心になる。ホタルの飛翔時期が終わり昼間となれば、ホタルの存在すら忘れ、河原でバーベキューを楽しみ、油を流し、ゴミを捨てていく・・・。その場所では、時の流れと共にホタルが生育し、四季を通じて劇的なドラマを展開させているにもかかわらず・・・。
ホタルの生息する里山は、二十四節気ごとに自然の美しさに満ちあふれ、その変化の積み重ねは豊かな生態系としてホタルを育み、永年の発生につながっている。ホタルは、こうした自然環境あっての存在であり、飛び交う情景も美しい背景とセットで成り立つ1つの風景画でありながら、現代の人々は、ホタルの「光」だけしか見ていないのかもしれない。
人の感覚というものは、変化する。研ぎ澄まされることもあれば、衰えたり麻痺することもある。例えば、現代の子供達の中には、美味しいと感じる「味覚」が変化している。食品添加物によって作り出された「味」でなければ、美味しいと感じないという。その味は、決して素材本来の旨味ではなく、料理という味のハーモニーでもない。味を濃くした人工的な化学調味料の味である。日頃から、その味に慣れてしまっていることが原因だ。
もしかしたら、人々のホタルに対する感覚も、昔と今では大きく変化しているのかも知れない。ホタルを養殖することが環境教育と思いこんだり、本来のホタルの生息環境や生態系の重要性を原理主義として軽視する人々もいる。
ホタルの飛び交う風景の未来は、一体どうなるのであろうか。心配でたまらない。by 東京にそだつホタル
結果によると、自然を保護することが「最も重要」と考える人の割合が、人間社会と保護との「調和」を唱える人を上回り、初めて多数派になったことが分かった。
自然保護についてどう考えるか、三つから選ぶ設問では、「人間が生活していくために最も重要なこと」が48%、「人間社会との調和を図りながら進めていくこと」が47%、「開発の妨げとなるなど不要なこと」が2%だった。なぜ自然保護が必要なのか尋ねた設問(複数回答)では、「気温の調節、二酸化炭素の吸収など人間の生存に不可欠な環境条件を整えるから」(47%)が最も多く、「生態系や動植物保護は重要だから」(37%)、「人間の心にやすらぎやうるおいを与えてくれるから」(同)が続いた。 自然保護に最も力を入れるべき地域では、「メダカやホタルなどが生息する里地や里山」「都市やその周辺の緑地や水辺」といった身近な自然を挙げる人が計8割近くを占めた。
近年、異常気象が相次ぎ、地球温暖化問題などへの関心が高まっていることが背景にあるようだが、これからは、具体的にどう自分たちが自然保護に参加し、日頃から何に取り組むのかが重要である。自然を保護保全することは簡単ではない。地権者の利益も守らなければならないし、人々の生活スタイルを崩すことはもはや出来ない。都市近郊のホタルが生息する里山を保全し、ホタルを保護するために、まず大切なことは、里山やホタルについて知識を深め、理解し、単なる観光目的で闇雲に訪れないことだ。
ホタルは、約三週間の間、夜に幻想的な饗宴を繰り広げるが、時期が過ぎれば多くの人々は無関心になる。ホタルの飛翔時期が終わり昼間となれば、ホタルの存在すら忘れ、河原でバーベキューを楽しみ、油を流し、ゴミを捨てていく・・・。その場所では、時の流れと共にホタルが生育し、四季を通じて劇的なドラマを展開させているにもかかわらず・・・。
ホタルの生息する里山は、二十四節気ごとに自然の美しさに満ちあふれ、その変化の積み重ねは豊かな生態系としてホタルを育み、永年の発生につながっている。ホタルは、こうした自然環境あっての存在であり、飛び交う情景も美しい背景とセットで成り立つ1つの風景画でありながら、現代の人々は、ホタルの「光」だけしか見ていないのかもしれない。
人の感覚というものは、変化する。研ぎ澄まされることもあれば、衰えたり麻痺することもある。例えば、現代の子供達の中には、美味しいと感じる「味覚」が変化している。食品添加物によって作り出された「味」でなければ、美味しいと感じないという。その味は、決して素材本来の旨味ではなく、料理という味のハーモニーでもない。味を濃くした人工的な化学調味料の味である。日頃から、その味に慣れてしまっていることが原因だ。
もしかしたら、人々のホタルに対する感覚も、昔と今では大きく変化しているのかも知れない。ホタルを養殖することが環境教育と思いこんだり、本来のホタルの生息環境や生態系の重要性を原理主義として軽視する人々もいる。
ホタルの飛び交う風景の未来は、一体どうなるのであろうか。心配でたまらない。by 東京にそだつホタル