どんどんフィルムが消えていく。先日はコダックEPJとコダックEPH の製造販売中止について書いたが、実は風景写真に使っていたコダックPKR も同じく姿を消している。このコダックPKR は、フジクロームフィルムのけばけばしい色合いに比べて、何とも深みのある発色が特徴だった。感度が低いのでホタルの飛翔風景には使えないが、ホタルの生息環境やホタルのクローズアップ撮影では愛用していた。これらリバーサルフィルムが消えていく原因は、デジタルカメラの普及に伴う需要の落ち込みに他ならない。世の中の流れとして仕方がないのかもしれないが、残念でならない。コダックPKR は、掲載のヒメボタルの写真(2006.7撮影)が最後の使用となってしまった。
昨今、フィルム撮影専門のプロとアマのカメラマンからデジタルで撮影したホタル写真が批判の対象となっているが、私は、デジタルカメラでのホタル撮影の技法や撮影した写真の批判をするつもりはない。マクロではたいへんシャープであるし、飛翔風景ではフィルムでは不可能な表現の領域まで達している。大切なのは何をどう撮影して、どのように表現するかである。例えばホタルの飛翔を撮影するならば、光跡だけが写っているのではなく、背景の自然環境まで表現されていなければならないと思う。デジタルでの撮影技法として一般的である、残照があるうちに背景を撮影しておき、跡から細切れ撮影したホタルの光跡をパソコンで何十枚も合成したものは、確かに美しい。コンセプトが「ホタル舞う風景写真」というものだけならば、どのような撮影方法でもよいと思う。しかし、ホタルが実際に飛んでいない時間の風景ではなく、ホタルが飛んでいる実際の時間の背景(光と陰)を写したい。ホタルがどの空間を飛翔しているのかが重要だからだ。ホタルの飛翔は生息環境によっても時間によっても相違がある。合成でない長時間露光撮影は、シャドー部とハイライト部の差が激しくなるが、単なる風景写真を脱した生態写真になるのである。(デジタルでも同様の撮影は可能である。)
と、いろいろと嘆いてもフィルムが無くなってしまったら、どうしようもないのである。
東京ゲンジボタル研究所/古河義仁 ホームページ/東京にそだつホタル
昨今、フィルム撮影専門のプロとアマのカメラマンからデジタルで撮影したホタル写真が批判の対象となっているが、私は、デジタルカメラでのホタル撮影の技法や撮影した写真の批判をするつもりはない。マクロではたいへんシャープであるし、飛翔風景ではフィルムでは不可能な表現の領域まで達している。大切なのは何をどう撮影して、どのように表現するかである。例えばホタルの飛翔を撮影するならば、光跡だけが写っているのではなく、背景の自然環境まで表現されていなければならないと思う。デジタルでの撮影技法として一般的である、残照があるうちに背景を撮影しておき、跡から細切れ撮影したホタルの光跡をパソコンで何十枚も合成したものは、確かに美しい。コンセプトが「ホタル舞う風景写真」というものだけならば、どのような撮影方法でもよいと思う。しかし、ホタルが実際に飛んでいない時間の風景ではなく、ホタルが飛んでいる実際の時間の背景(光と陰)を写したい。ホタルがどの空間を飛翔しているのかが重要だからだ。ホタルの飛翔は生息環境によっても時間によっても相違がある。合成でない長時間露光撮影は、シャドー部とハイライト部の差が激しくなるが、単なる風景写真を脱した生態写真になるのである。(デジタルでも同様の撮影は可能である。)
と、いろいろと嘆いてもフィルムが無くなってしまったら、どうしようもないのである。
東京ゲンジボタル研究所/古河義仁 ホームページ/東京にそだつホタル