真冬の午前6時過ぎ。東を見れば富士の彼方はゆっくりと東雲色に変化し、美しいグラデーションを成している。西を向けば紫がかった黎明の空に浮かぶ有明の月が北アルプスに沈もうとしている。「夜明け」である。
「夜明け」とは、気象庁の天気予報などで使用される場合は、日の出前の空が薄明るくなるころのことを言う。1798年より1843年まで施行された暦法である寛政暦では、日の出前の太陽の中心が地平線下の7度21分40秒に来た時刻としている。また、比喩として「新しい時代や文化、芸術などの始まり、希望のもてる状況の始まり」等の表現に用いられる。
夜明けは、闇から光りの世界へと移り変わる時と言える。旧約聖書冒頭の書である「創世記」では、始めに闇があり、神は闇を夜と名付け、天地創造の一日目の仕事は光をつくることだったとある。「光」は全ての源になっている。
私は夜明け時刻に撮影することが多い。美しい光景であることは勿論、何か神聖な気持ちになる特別な時間だと感じる。ただし、これは写真を撮ろうと計画し、徹夜で移動、または前日から車中泊して臨んだ時の事であり、平日は、連日朝4時過ぎに目覚ましが鳴ると「あと5分・・・」一瞬で過ぎ去る時間を恨みながら、夜明けを待たずして仕事に出掛ける。仕事中に夜明けを迎えるが、そこに清々しさはなく、感謝も感動もない。
現代社会においては、心を病んでいると闇に引きこもり、夜が明けないことを望む方もいる。夜勤の場合は、夜明けに眠りにつく方々も多いだろう。夜明けがすべての始まりではない。
東京では、1月22日(土)ついに新型コロナウイルス(オミクロン株)の新規感染者が1万人を超え11,227人となった。まもなく10人に1人が濃厚接触者になるとも言われており、社会活動の停滞が危惧されている。それだけではない。地震に噴火、そして温暖化・・・様々なシミュレーションがされ対策が検討されてはいるが、実際の所、どのような未来が待っているのかは誰にも分からない。今を闇の世界とするならば、人類にはどのような「夜明け」が訪れるのだろうか。
ももいろクローバーZの楽曲「白金の夜明け」(作詞 前田たかひろ)に「夜明けに生まれかわろう」という一節がある。希望のある一文ではあるが、「今、生まれ変わらなければ、夜明けは来ない」かもしれない。そんな風に思えてならない。
こんな状況であるから、この週末も自宅で自粛。春のあけぼのを期待しつつ「冬はつとめて 雪の降りたるもをかし」季節の流れとともにうつりゆく光景に思いを馳せながら。
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富士山と雲海
Canon EOS 5D Mark Ⅱ / TAMRON SP AF70-200mm F/2.8 Di LD (IF) MACRO / 絞り優先AE F16 4秒 ISO 100 (撮影地:長野県諏訪市 2011.2.19 6:08)
有明の月
Canon EOS 5D Mark Ⅱ / TAMRON SP AF70-200mm F/2.8 Di LD (IF) MACRO / 絞り優先AE F18 0.4秒 ISO 100 -2/3EV (撮影地:長野県諏訪市 2011.2.19 6:25)
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