日本を代表する指揮者の一人であった山田一雄先生。1991年8月13日、78年の生涯を閉じられた。
私が、玉川大学管弦楽団員であった学生の頃、山田一雄先生の指揮のもと2回の演奏を行ったことがある。1985年「ベートーヴェン交響曲第9番」、1986年「ベートーヴェン序曲コリオラン」に首席フルートとしてであった。
今でも、練習初日の緊張は忘れることができない。あの大指揮者が来る・・・楽団員全員が硬直していた。現れた山田一雄先生はとても小柄だった。指揮台に上がり、挨拶を交わすと、すぐさま第9の一楽章を降り始めた。メガネの奥の眼差しは、とても厳しい。18小節目のアウフタクト。全身全霊の棒。これまで聞いたことのない「音」が響いた。「このオケは、時々プロ顔負けの音がする。」そうおっしゃっていた。
本番では、演奏しながら、この時間がいつまでも続いてほしい、そう思っていた。特に第3楽章Adagio molto cantabile では至高の時が過ぎた。もちろん第4楽章は、「歓喜」そして感動である。演奏終了後に楽譜にサインをいただいた時、「笛さん、よく聞こえていたよ。」とても嬉しい一言だった。この経験は、今でも大切な宝物である。
けして妥協せず、我々を音楽芸術に導こうとした山田一雄先生。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
私が、玉川大学管弦楽団員であった学生の頃、山田一雄先生の指揮のもと2回の演奏を行ったことがある。1985年「ベートーヴェン交響曲第9番」、1986年「ベートーヴェン序曲コリオラン」に首席フルートとしてであった。
今でも、練習初日の緊張は忘れることができない。あの大指揮者が来る・・・楽団員全員が硬直していた。現れた山田一雄先生はとても小柄だった。指揮台に上がり、挨拶を交わすと、すぐさま第9の一楽章を降り始めた。メガネの奥の眼差しは、とても厳しい。18小節目のアウフタクト。全身全霊の棒。これまで聞いたことのない「音」が響いた。「このオケは、時々プロ顔負けの音がする。」そうおっしゃっていた。
本番では、演奏しながら、この時間がいつまでも続いてほしい、そう思っていた。特に第3楽章Adagio molto cantabile では至高の時が過ぎた。もちろん第4楽章は、「歓喜」そして感動である。演奏終了後に楽譜にサインをいただいた時、「笛さん、よく聞こえていたよ。」とても嬉しい一言だった。この経験は、今でも大切な宝物である。
けして妥協せず、我々を音楽芸術に導こうとした山田一雄先生。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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