ホタルの独り言 Part 2

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ホソミモリトンボ

2024-08-18 12:18:27 | トンボ/エゾトンボ科

 ホソミモリトンボ Somatochlora arctica (Zetterstedt, 1840)は、エゾトンボ科(Family Corduliidae)エゾトンボ属(Genus Somatochlora)で、2011年7月に尾瀬ヶ原で見たのが最初であるが、証拠にもならない写真しか撮れなかった。その後、毎年のように別の生息地の探索を続け、十カ所以上を何度となく訪れ、2021年には上高地の田代湿原で目撃したが、場所柄、撮影はできなかった。そして昨年、これまでの経験と知識から自力で撮影可能な生息地を見つけ、今年も含めて8回訪問し、のべ58時間にわたって観察と写真撮影を行った。
 本記事は、その生息地における結果をまとめたものである。(他の生息地でも同一であるとは限らない)観察と写真撮影を行った生息地は乾燥化が進んでおり、このままでは十数年後には姿を消してしまう可能性が大きく、その意味でも、多少なりとも記録に残せたことは意味があると思う。

ホソミモリトンボの分布と生息環境
 ホソミモリトンボは、イギリス及びヨーロッパ中南部以北から中国東北部、シベリアなどに広く分布し、国内では北海道及び本州中部山岳地帯に分布する。学名の "arctica" は、「北極」や「北極地方」などの他「厳寒」「極寒」などの意味があり、エゾトンボ科の中でも好寒性が最も強く、不連続永久凍土地域でも生息が確認されているように世界中で最も高緯度まで分布しているトンボである。
 北海道(主に道東に分布)では平地の高層湿原でも見られるが、本州では、標高1,400m以上のミズゴケ、スゲ、シダ類が繁茂する植生遷移が進んだ高層湿原にのみ生息し、世界中の生息環境をみても、そのすべてが泥炭蓄積の高層湿原である。高層湿原ならば生息しているという訳ではなく、本州では、これまで福島、栃木、群馬、長野、新潟、岐阜の6県で記録があるが、いずれも大変局所的であり、近年では確認されていない場所が多い。
 ちなみに高層湿原とは、低温・過湿のために枯死したミズゴケが分解されず泥炭となり、水を含んで過湿となった場所をいい、泥炭が多量に蓄積されて周囲よりも高くなったために地下水では涵養されず、雨水と雪解け水のみで維持されている貧栄養な湿原を指す。植生はミズゴケ類が主体であり、多量の泥炭の蓄積には低温・過湿な気候が必要なため、日本では屋久島を南限として、本州山岳地帯と北海道に分布している。高山に多いが、必ずしも標高の高い場所に限定されているわけではない。
 高層湿原は、貧栄養であるため発達しても樹木が侵入することは少なく、樹林へと遷移することは稀であるが、気候、水文環境、地形等の条件が微妙なバランスに保たれて形成・維持されているため、近年の異常気象(気候変動)に伴い、そのバランスが変化する可能性が高い。降雨降雪量が少なければ水位が低下し、その結果、泥炭が乾燥して陸生植物が侵入し定着するようになり、湿原の陸化が進んでしまう。本種の観察と撮影を行った高層湿原も乾燥化が進行しており、本種をはじめ氷河期の遺存種など貴重な動植物の生息が危ぶまれている状況である。
 ホソミモリトンボは、これほどまでに希少種でありながら環境省版レッドリストには記載されていない。都道府県版レッドリストでは、栃木県で絶滅危惧Ⅰ類に、群馬県で絶滅危惧Ⅱ類に、新潟県と長野県で準絶滅危惧種としている。

ホソミモリトンボの成虫形態
 ホソミモリトンボの体長は46㎜~54㎜内外で、エゾトンボ科の中では北海道にのみ生息するクモマエゾトンボ Somatochlora alpestris (Selys, 1840)に次いで小さい。飛んでいる時はあまり分からないが、枝などに止まっている時に近くで見ると、その小ささと細さに驚くほどである。
 雌雄共に胸部側面が金緑色で、未成熟時は胸部側面および腹基部に黄斑があるが、成熟に伴って黄斑の大部分は消失し、金緑色も色褪む。複眼は鮮やかな緑で、後縁部に青みを帯びた部分があり、光の当たり具合によって赤やオレンジの構造色が目立つ
 オスの尾部付属器は上付属器が左右になめらかに湾曲した"くぎぬき状"で、これは他のエゾトンボ科とは明らかに異なり、同属他種との判別ポイントになっている。メスは、腹部第2節後縁に黄色の環状斑と第3節背面に一対の黄色斑があり、第3節背面に一対の黄色斑が、同属他種との判別ポイントになっている。

ホソミモリトンボの生態

  1. 発生サイクルと出現期間
    • 幼虫の成長速度は遅く、3~4年の1世代型である。幼虫には移動性がなく、卵から羽化まで同一の場所で過ごすと言われている。
    • 6月中旬~下旬頃に羽化(未確認)し、一か月程度は湿原周辺のカラマツ林で生活し、成熟するまでは産卵場所の湿原には姿を見せない。
    • 成熟した個体は7月中旬頃から湿原に現れ、8月下旬頃まで活動し、その後、姿を消す。(北海道の釧路湿原周辺では10月中旬頃まで生き残っている個体もいる)
  2. オスの飛翔活動
    • 晴れた朝は、7時半頃になると湿地に隣接するカラマツ林から飛び出し、湿地上の高い場所を飛びながら小さな虫を捉えて食べる。(摂食飛翔)
    • 7月では、摂食飛翔が中心で、探雌飛翔や縄張り飛翔はほとんどしない。
    • 8月になると、成熟したオスは、7時過ぎから摂食飛翔し、同時に探雌飛翔や縄張り飛翔を行う個体がいるが、晴れて直射日光が当たっていなければ飛翔しない。
    • 探雌飛翔は、湿原の広範囲を移動しながら産卵に適した細流上を低く、流れに沿って飛翔する。
    • 縄張り飛翔は、成熟度合いが進むにつれて多く行うようになる。産卵に適した場所にて1mくらいの高さで短いホバリングを行うが、すぐに移動する。
    • 縄張り飛翔は、他のオスは勿論、アキアカネなどの他種のトンボやチョウなどの侵入があっても、激しく追い払い、その後同じ場所に戻ってくるが、戻ってこないこともある。
    • 8月中旬以降になると、縄張り飛翔中のホバリングが長くなり、個体差にもよるが、5mほどの狭い範囲を移動しながら、一ヵ所で10秒以上も静止飛翔する個体もいる。
    • 晴れで日中の気温が21℃前後ならば、午前から午後にかけて一定の時間をおきながら探雌飛翔や縄張り飛翔を行うが、気温の上昇とともに活動が鈍くなり、気温が25℃以上になると午前中でも湿原上には現れない。
    • 長い時間飛翔した場合、湿原の下草や灌木の止まって休む個体もいる。
    • 条件の良い日でも、探雌飛翔や縄張り飛翔にまったく現れない時間が30分から1時間近くある場合もある。おそらく交尾をしている時間や休んでいるものと思われる。
    • 夕刻に飛翔活動するか否かは不明である。
  3. 交尾
    • 探雌飛翔中にメスを見つけると、その場で交尾態となり、湿原の低空をタンデム飛翔しながら、隣接する森に飛んでいく。時折、湿原内の灌木の止まることもある。
    • 交尾態が止まる場所は、林縁や湿原内の灌木の枝先で、比較的低い位置である。
    • 交尾にかかる時間は不明である。
  4. 産卵
    • 産卵は、7月中旬以降から出現期間中の8月下旬まで行われる。
    • 8時を過ぎると産卵のために飛来するが、時間はまちまちで、正午近くになってようやく飛来することもある。
    • 季節が進むほど、産卵開始の時刻が遅くなる。
    • 産卵場所は湿原内の細流で、スゲ類に覆われていて流れはほとんど見えない所に、身を隠すように降りて行き産卵する。
    • 産卵は、草につかまりながら腹部を水中に入れて行うが、少しの空間があれば、ホバリングしながら打水産卵も行う。
    • 一ヵ所での産卵は長いと1分程度であるが、多くは10秒以内と短く、移動しながら数か所で産卵する。
    • メスは神経質ではなく、観察者の足元近くでも産卵する。
    • 豪雨等で水量が多くなり、細流を覆う草が倒れて流れが見えるようになると、いつもは産卵に訪れる場所であっても飛来せず、身を隠せる場所でのみ産卵する。

ホソミモリトンボの観察日時

  • 2023年7月30日 6:30~16:00
  • 2023年8月04日 5:30~13:00
  • 2023年8月11日 5:30~13:30
  • 2023年8月27日 6:30~13:30
  • 2023年7月21日 6:00~12:00
  • 2023年8月26日 6:00~12:00
  • 2023年8月03日 7:30~12:00
  • 2023年8月10日 5:30~15:00

ホソミモリトンボの撮影
  雌雄共にいつ飛来するのか分からないので、チャンスを逃さぬよう飛来場所から離れないことが必要で、そのため一回の観察で6時間以上も立ったままその場で待機した。
 カメラは Canon EOS 7D でレンズは トキナーの300mm単焦点レンズで撮影を行ったが、交尾態は2倍のテレプラスを装着し、35mm換算で960mmで撮影した。
 オスの撮影は、まずは図鑑的写真として同属他種との判別ポイントである尾部付属器の"くぎぬき状"が明確に分かるものを撮った。次に、飛翔写真は様々な角度から撮影し、横位置のものは、顔面の触角から尾部付属器までマニュアルフォーカスでピントを合わせ、比較的若い個体から成熟、老熟個体まで撮影し、光線の加減で明瞭ではないが、体色の変化が分かるものを撮った。
 メスの撮影は、産卵に飛来した際のホバリングがとても短く、すぐに草の中に入ってしまうので、オスのように全身を明確に撮ることができなかったが、草被りの場合でも、メスの大きな特徴である腹部第3節背面にある一対の黄色斑を写すようにした。また、産卵においては、運よく足元近くで行ってくれたため、真上から腹部中心にピントを合わせ、2通りの産卵方法の瞬間を捉えることができた。
 来年は、羽化の時期に観察に訪れ、いつ、どのような場所で羽化するのか、その一部始終を収めたいと思う。

参考文献 他
Somatochlora arctica Ireland Red List: Endangered/British Dragonfly Society
Jaap Bouwman,New records of Somatochlora arctica in northwestern Lower Saxony.Libellula 26 (1/2) 2007: 35-40
Belenguier, L. (2021). Suivi de Leucorrhinia dubia et Somatochlora arctica par releve des exuvies :resultats sur trois tourbieres Auvergnates en 2015 (Odonata : Libellulidae, Corduliidae). Martinia 35 (4) : 13-22
Boudot, J.-P. & Karjalainen, S. (2015). Somatochlora arctica (Zetterstedt, 1840), in Boudot J.-P. & Kalkman V. J. (ed.), Atlas of the European dragonflies and damselflies. KNNV Publishing, Zeist, the Netherlands : 237-239
Raphaelle Itrac-Bruneau. (2022). Somatochlora arctica (Odonata : Corduliidae) dans le Massif du Morvan : decouverte d’une station majeure pour la Bourgogne-Franche-Comte et comparaison avec d’autres stations : Martinia 36 (1) : 1-12
吉田雅澄,1995. ホソミモリトンボの幼虫の生息環境と行動に関する知見.Aeschna, (30): 11-16.

以下の掲載写真は、1920×1280ピクセルで投稿しています。写真をクリックしますと別窓で拡大表示されます。

ホソミモリトンボの写真
ホソミモリトンボ(オス/くぎぬき状の尾部付属器が本種の証)
Canon EOS 7D / Tokina AT-X 304AF 300mm F4 / 絞り優先AE F6.3 1/400秒 ISO 3200(撮影日:2023.08.11 9:15)
ホソミモリトンボの写真
ホソミモリトンボ(オス/探雌中に湿原内の茂みで休む)
Canon EOS 7D / Tokina AT-X 304AF 300mm F4 / 絞り優先AE F6.3 1/500秒 ISO 200(撮影日:2023.08.11 9:07)
ホソミモリトンボの写真
ホソミモリトンボ(若いオスの縄張り飛翔)
Canon EOS 7D / Tokina AT-X 304AF 300mm F4 / 絞り優先AE F6.3 1/500秒 ISO 1000(撮影日:2024.08.03 8:13)
ホソミモリトンボの写真
ホソミモリトンボ(成熟オスの縄張り飛翔)
Canon EOS 7D / Tokina AT-X 304AF 300mm F4 / プログラムAE F5.0 1/500秒 ISO 400 -1/3EV(撮影日:2024.08.10 13:23)
ホソミモリトンボの写真
ホソミモリトンボ(成熟オスの縄張り飛翔)
Canon EOS 7D / Tokina AT-X 304AF 300mm F4 / プログラムAE F5.0 1/500秒 ISO 400 -1/3EV(撮影日:2024.08.10 13:24)
ホソミモリトンボの写真
ホソミモリトンボ(老熟オスの縄張り飛翔)
Canon EOS 7D / Tokina AT-X 304AF 300mm F4 / 絞り優先AE F6.3 1/400秒 ISO 200(撮影地:本州中部 2023.08.27 12:46)
ホソミモリトンボの写真
ホソミモリトンボ(産卵のための訪れたメス/第3節背面の黄色斑が本種の証)
Canon EOS 7D / Tokina AT-X 304AF 300mm F4 / 絞り優先AE F6.3 1/400秒 ISO 320 +1/3EV(撮影日 2024.07.21 9:33)
ホソミモリトンボの写真
ホソミモリトンボ(交尾態)
Canon EOS 7D / Tokina AT-X 304AF 300mm F4 + Kenko TELEPLUS PRO300 2X DG / プログラムAE F9.0 1/320秒 ISO 3200 +1EV(撮影日:2024.08.10 12:57)
ホソミモリトンボの写真
ホソミモリトンボ(交尾態)
Canon EOS 7D / Tokina AT-X 304AF 300mm F4 + Kenko TELEPLUS PRO300 2X DG / プログラムAE F9.0 1/320秒 ISO 3200 +1EV トリミング(撮影日:2024.08.10 12:57)
ホソミモリトンボの写真
ホソミモリトンボ(産卵場所でホバリングするメス/第3節背面の黄色斑が本種の証)
Canon EOS 7D / Tokina AT-X 304AF 300mm F4 / 絞り優先AE F6.3 1/400秒 ISO 800(撮影日:2024.08.03 10:18)
ホソミモリトンボの写真
ホソミモリトンボ(草につかまっての産卵)
Canon EOS 7D / Tokina AT-X 304AF 300mm F4 / 絞り優先AE F6.3 1/500秒 ISO 1000(撮影日:2024.08.03 10:19)
ホソミモリトンボの写真
ホソミモリトンボ(打水産卵)
Canon EOS 7D / Tokina AT-X 304AF 300mm F4 / 絞り優先AE F6.3 1/500秒 ISO 1000(撮影日:2024.08.03 10:20)
生息環境及び産卵場所の写真
ホソミモリトンボの生息環境及び産卵場所(湿原の中に細流があり、産卵場所となっている)
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