お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

夫の実家のお墓に入りたくない

2009年09月22日 | 仏教
 今朝、スーパーモーニングという番組を見ていたら・・・
 アンケートで
 「夫の実家のお墓に入りたくない」という妻が 70%
と言っていました。

 自分の親、先祖なら愛しいが、夫の親は、鬱陶しい
 あんな憎たらしい人たちと同じお墓に入るなんて、真っ平ゴメン って気持でしょうか

 それとも、「私は、私らしい、私好みの(こだわりの)新築のお墓に入りたい」
ってことでしょうか

 繰り返し、拙ブログでご紹介していますが、
仏の教えに従って考えてみれば、

 お墓は、唯一残った遺骨を通して、後に残った者が、故人を偲ぶ「縁」であって、
 死者にとっての「終の棲家」ではありません

 私たちは、死後、生前と同じ感情をいだいた迷える「霊魂」となって、お墓にじ~と宿っているわけではありません

 仏(真理・あるがままの真如)に心を合わせて生きる私たちは、
亡くなると同時に
そんな醜い悪感情も執着(自分の思いにとらわれる心)も離れた浄土へ迎えられ、美しい(清浄な)さとりの仏に誕生するのです。

 どこのお墓に埋葬されようと、埋葬されまいと何の心配もありません。

 「自分が」「自分が」という「自分中心に世界を見る」視点が、「宇宙から自分を見る」視点に大きく転換される・・・
 限りない智慧と慈悲のはたらきの「仏」と成るのですから

 自分の愛する者は大切だが、自分にとって不都合な人を憎む という気持も、もはや無い・・・
 生前の何のわだかまりも・・・何の怨念もなくなります。

 仏教を有り難く聞かせて頂いている私は
「夫の実家のお墓に入りたくない」と言って、
死後まで、我執のまま・・・迷いそうな人生を送りたくありません

 
コメント (3)
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