今朝、スーパーモーニングという番組を見ていたら・・・
アンケートで
「夫の実家のお墓に入りたくない」という妻が 70%
と言っていました。
自分の親、先祖なら愛しい
が、夫の親は、鬱陶しい
あんな憎たらしい人たちと同じお墓に入るなんて、真っ平ゴメン
って気持でしょうか
それとも、「私は、私らしい、私好みの(こだわりの)新築のお墓に入りたい」
ってことでしょうか
繰り返し、拙ブログでご紹介していますが、
仏の教えに従って考えてみれば、
お墓は、唯一残った遺骨を通して、後に残った者が、故人を偲ぶ「縁」であって、
死者にとっての「終の棲家」ではありません
私たちは、死後、生前と同じ感情をいだいた迷える「霊魂」となって、お墓にじ~と宿っているわけではありません
仏(真理・あるがままの真如)
に心を合わせて生きる私たちは、
亡くなると同時に
そんな醜い悪感情も執着(自分の思いにとらわれる心)も離れた浄土
へ迎えられ、美しい(清浄な)さとりの仏
に誕生するのです。
どこのお墓に埋葬されようと、埋葬されまいと何の心配もありません。
「自分が」「自分が」という「自分中心に世界を見る」視点が、「宇宙から自分を見る」視点に大きく転換される・・・
限りない智慧と慈悲のはたらきの「仏」と成るのですから
自分の愛する者は大切
だが、自分にとって不都合な人を憎む
という気持も、もはや無い・・・
生前の何のわだかまりも・・・何の怨念もなくなります。
仏教を有り難く聞かせて頂いている私は
「夫の実家のお墓に入りたくない」と言って、
死後まで、我執のまま・・・迷いそうな人生を送りたくありません
アンケートで

と言っていました。

自分の親、先祖なら愛しい


あんな憎たらしい人たちと同じお墓に入るなんて、真っ平ゴメン


それとも、「私は、私らしい、私好みの(こだわりの)新築のお墓に入りたい」
ってことでしょうか

繰り返し、拙ブログでご紹介していますが、
仏の教えに従って考えてみれば、
お墓は、唯一残った遺骨を通して、後に残った者が、故人を偲ぶ「縁」であって、
死者にとっての「終の棲家」ではありません

私たちは、死後、生前と同じ感情をいだいた迷える「霊魂」となって、お墓にじ~と宿っているわけではありません

仏(真理・あるがままの真如)

亡くなると同時に
そんな醜い悪感情も執着(自分の思いにとらわれる心)も離れた浄土


どこのお墓に埋葬されようと、埋葬されまいと何の心配もありません。
「自分が」「自分が」という「自分中心に世界を見る」視点が、「宇宙から自分を見る」視点に大きく転換される・・・
限りない智慧と慈悲のはたらきの「仏」と成るのですから
自分の愛する者は大切


生前の何のわだかまりも・・・何の怨念もなくなります。
仏教を有り難く聞かせて頂いている私は
「夫の実家のお墓に入りたくない」と言って、
死後まで、我執のまま・・・迷いそうな人生を送りたくありません
