浄土真宗って
「念仏すれば、死んでから、いいところ(極楽)に行ける。
生きている間は、我慢して、生きよう、 という教えで、
生きている人間の 苦悩に対して、何の解決にもならない
」
と、誤解されている方が、案外多いようです。
浄土真宗では、凡夫(フツーの人間)は、死ぬまで煩悩から離れられない
だから、この身のまま、悟りをひらくなんて、とんでもない
できるわけない
「悟り」は、仏さまだけが到達された境地 である・・・
と考えます。
じゃあ、どうやったら、悟りにいたるの
やはり、絶望して生きるだけなの
いえいえ、だから、そういう「凡夫」のために
「全てのものを救いたい
」と、誓い、願われたのが
阿弥陀如来
私が、悟りに至るには、阿弥陀如来にお任せするしか、救われようがない
「念仏」は、阿弥陀如来に心を合わせる 感謝の言葉。
完全な悟りを得て「仏」と完成されるのは、この身が無くなって(死んでから)ではあるけれど、
阿弥陀さまに相談しながらの人生だから・・・
阿弥陀如来の慈悲に心を合わせて生きるってことは、実に安心で、あたたかい・・・
決して、死んでからの「救い」ではなく、生きている間の「救い」なのですよ~
死んで初めて、阿弥陀さまの前に来ても、遅すぎる。
どうぞ、生きているうちに、「本願」に出逢って、安心を得てください
「念仏すれば、死んでから、いいところ(極楽)に行ける。
生きている間は、我慢して、生きよう、 という教えで、
生きている人間の 苦悩に対して、何の解決にもならない

と、誤解されている方が、案外多いようです。
浄土真宗では、凡夫(フツーの人間)は、死ぬまで煩悩から離れられない
だから、この身のまま、悟りをひらくなんて、とんでもない

できるわけない

「悟り」は、仏さまだけが到達された境地 である・・・
と考えます。
じゃあ、どうやったら、悟りにいたるの


いえいえ、だから、そういう「凡夫」のために
「全てのものを救いたい

阿弥陀如来

私が、悟りに至るには、阿弥陀如来にお任せするしか、救われようがない
「念仏」は、阿弥陀如来に心を合わせる 感謝の言葉。
完全な悟りを得て「仏」と完成されるのは、この身が無くなって(死んでから)ではあるけれど、
阿弥陀さまに相談しながらの人生だから・・・
阿弥陀如来の慈悲に心を合わせて生きるってことは、実に安心で、あたたかい・・・

決して、死んでからの「救い」ではなく、生きている間の「救い」なのですよ~

死んで初めて、阿弥陀さまの前に来ても、遅すぎる。
どうぞ、生きているうちに、「本願」に出逢って、安心を得てください

