この数日、あちこちの巡番報恩講に楽しく参詣させていただいています。
毎年、桜
の季節、佐賀の真宗寺院関係者は、お花見に行く暇なく、法要三昧なのであります。(花は移動中の車中
から眺めるだけ)
法要で、仏さまのお話を聞かせていただきながら、あらためて思いました。
「私があちこちで聴聞させていただいているのも、お寺に嫁に入るご縁があったからこそ。
お寺にご縁がなかったなら、決して、お参りして、仏法を聞かせていただく
こともなかったろう。
私みたいな者が、こうして、阿弥陀さまの前に座らせていただき、手が合わさって、口に念仏を称えている。
素直に念仏を称えるようなヤツじゃない私が、今、こうして称えさせていただいている
なかなか我が強く、頭が下がらん私が、素直に礼拝し、頭が下がっている
これこそ、奇跡であり、有り難い(有ることが難しい)ことだと・・・
そう、しみじみ「有り難し」を味わっています。

毎年、桜


法要で、仏さまのお話を聞かせていただきながら、あらためて思いました。
「私があちこちで聴聞させていただいているのも、お寺に嫁に入るご縁があったからこそ。

お寺にご縁がなかったなら、決して、お参りして、仏法を聞かせていただく

私みたいな者が、こうして、阿弥陀さまの前に座らせていただき、手が合わさって、口に念仏を称えている。
素直に念仏を称えるようなヤツじゃない私が、今、こうして称えさせていただいている

なかなか我が強く、頭が下がらん私が、素直に礼拝し、頭が下がっている

これこそ、奇跡であり、有り難い(有ることが難しい)ことだと・・・
そう、しみじみ「有り難し」を味わっています。
