ちょっと今週末は立てこみそうなので、日曜日も外出。今日のうちに芸森→文学館と行っておくことにした。
■札幌芸術の森美術館「ロベール・ドアノー展」。これ見よがしの作品が無い、良い展覧会だった。
「サン・ドニの子供たち」:空襲で壊滅した街の風景か。
「ナンテール」:これは1952年の作品。いわゆる傷痍軍人か。
「サン・ジェルマン・デ・プレの交差点」:雪の上にタイヤの跡が残る。札幌の昔のバスセンター付近の風景に似ている。
「かがんで口づけ」:本当のスナップ写真だけではなく、演出で「もう一度キスして下さい」と頼んだりもしたそうだ。
「パリ市庁舎前のキス」:これはカッコよすぎる写真だ。他のはそうでもないのもある。
「横目」:画廊のショーウィンドーに裸婦の画が飾ってあるのと、人物を組み合わせた4連作。これは横目でヌード絵画を見る紳士。
「幸せな鑑賞者」:若い男は何の遠慮もなくヌードを鑑賞。
「憤慨する女性」:目を丸くして呆れるオバサン。
「美術品と警官」:苦々しくしかめっ面をする警官。
「脚を交差した客」:カウンターで立ち飲みをするオヤジさん。ガラスに黒い液体が入っているが、コーヒーか、ワインか。
「レ・アール市場の片隅」:1969年に別の場所に移転し、1971年に解体された市場。日本と同じ現象がここにある。
「ソヴァル通りの肉屋、レ・アール市場」:豚の頭を押さえ、包丁を持つ男。ちょっと怖い。
「小型テーブルのジャック・プレヴェール」:カクテルグラスに黒い液体。ワインか、いやピコンという可能性もあるな。
「パブロ・ピカソの運命線、ヴァロリス」:ガラス窓に手を当ててこちらを見つめるピカソ。ブルース・ウィリスというか、12代目市川団十郎というか、ピカソは画になるね。
「ル・ヴェジネのモーリス・ユトリロ」:奥さんが気分をもりたてないと、写真に写れなかったらしいユトリロ。撮影が終わったら、台所でワインを飲んでいたそうだ。気持ちは良く分かる。
「自分の作品に囲まれたフェルナン・レジェ」:撮影準備の際にキャンバスを破いてしまったドアノーが焦っていたら、こともなげにレジェが修復してくれて、感謝の念を抱いたとか。いい話があるね。
「カフェ「ボネ」の少女たち」:カフェのドアにはマルティニ、ぺルノーの広告シールが貼ってある。
「呼び鈴、パリ」:いわゆるピンポンダッシュのシーン。これも演出入っているのか。
「いかれた車」:壊れた車でドライブゴッコをする子供たち。この写真に写っていた人が、数十年後にドアノーの家を訪れて、思い出を語ったとか。心に残る風景なのだろう。
「光学的な歪み」:エッフェル塔が鞭のようにしなる写真。
「都会の群れ、パリ」:車の列が切れた所を乳母車を押した若いお母さんが通る。道路は砂浜のように輝いている。
「無秩序な建築」:古い建物と高層ビルの同居。パリも日本も同じか。
「アルジャントゥイユ」:1984年まで来ると、パリと東京は区別が付きにくい。
フランス、パリの香りがしながらも、どこか人の住む町は同じというか、日本にも通じるところのある写真展であった。
→ロビーにあるドアノーの写真。
■同「川上りえ Landscape Will-2013」。前回来た時は組み立て中だったインスタレーションが完成。
■北海道立文学館「群馬県立土屋文明記念文学館移動展 紙芝居の今昔」。
「鞍馬天狗 杉作兄妹の巻」:笑点で林家木久蔵が杉作ギャグをやっていたのだが、意味が分からなかったよな~。ここでは鞍馬天狗が沖田総司の身の上話を聞き、首を軽く峯打ちして命を助けるという名シーンがあるのだ。
「元祖黄金バット」:悪人が「何が何だかわからぬうちにやられたぞ」と説明セリフを吐きながら谷底に落ちていくのは笑える。そしてどう見ても黄金バットの顔は悪役だろう。
「稲むらの火」:海岸線が急激に引いたのを見た男が、山の上で稲むらに火を付ける。村人たちは消火のために山に登ってくると、男が火を付けたことを知り、気まずい雰囲気に。しかしその時、村に大津波が押し寄せる。村人たちは助かったというお話。こういう話が教訓として残っていたのだろう。
「サルカニ合戦」:猿の手などが縞状に描かれており、多分、スリットを通して動かすと動いて見える仕掛けなのだろう。
「やんちゃのやんちゃん」:汚い手でおやつを食べ、赤痢になるという教訓ものだ。
今でこそ街頭紙芝居のイメージが強いが、戦中は教育紙芝居が国策紙芝居に変化し、「お国のために」的精神を伝える道具として使われた模様。また紙芝居倫理規定管理委員会(映画でいう「映倫」か)の運営分担金に紙芝居制作会社は苦しんでいた模様。いろいろなことがあったのだろう。
■札幌芸術の森美術館「ロベール・ドアノー展」。これ見よがしの作品が無い、良い展覧会だった。
「サン・ドニの子供たち」:空襲で壊滅した街の風景か。
「ナンテール」:これは1952年の作品。いわゆる傷痍軍人か。
「サン・ジェルマン・デ・プレの交差点」:雪の上にタイヤの跡が残る。札幌の昔のバスセンター付近の風景に似ている。
「かがんで口づけ」:本当のスナップ写真だけではなく、演出で「もう一度キスして下さい」と頼んだりもしたそうだ。
「パリ市庁舎前のキス」:これはカッコよすぎる写真だ。他のはそうでもないのもある。
「横目」:画廊のショーウィンドーに裸婦の画が飾ってあるのと、人物を組み合わせた4連作。これは横目でヌード絵画を見る紳士。
「幸せな鑑賞者」:若い男は何の遠慮もなくヌードを鑑賞。
「憤慨する女性」:目を丸くして呆れるオバサン。
「美術品と警官」:苦々しくしかめっ面をする警官。
「脚を交差した客」:カウンターで立ち飲みをするオヤジさん。ガラスに黒い液体が入っているが、コーヒーか、ワインか。
「レ・アール市場の片隅」:1969年に別の場所に移転し、1971年に解体された市場。日本と同じ現象がここにある。
「ソヴァル通りの肉屋、レ・アール市場」:豚の頭を押さえ、包丁を持つ男。ちょっと怖い。
「小型テーブルのジャック・プレヴェール」:カクテルグラスに黒い液体。ワインか、いやピコンという可能性もあるな。
「パブロ・ピカソの運命線、ヴァロリス」:ガラス窓に手を当ててこちらを見つめるピカソ。ブルース・ウィリスというか、12代目市川団十郎というか、ピカソは画になるね。
「ル・ヴェジネのモーリス・ユトリロ」:奥さんが気分をもりたてないと、写真に写れなかったらしいユトリロ。撮影が終わったら、台所でワインを飲んでいたそうだ。気持ちは良く分かる。
「自分の作品に囲まれたフェルナン・レジェ」:撮影準備の際にキャンバスを破いてしまったドアノーが焦っていたら、こともなげにレジェが修復してくれて、感謝の念を抱いたとか。いい話があるね。
「カフェ「ボネ」の少女たち」:カフェのドアにはマルティニ、ぺルノーの広告シールが貼ってある。
「呼び鈴、パリ」:いわゆるピンポンダッシュのシーン。これも演出入っているのか。
「いかれた車」:壊れた車でドライブゴッコをする子供たち。この写真に写っていた人が、数十年後にドアノーの家を訪れて、思い出を語ったとか。心に残る風景なのだろう。
「光学的な歪み」:エッフェル塔が鞭のようにしなる写真。
「都会の群れ、パリ」:車の列が切れた所を乳母車を押した若いお母さんが通る。道路は砂浜のように輝いている。
「無秩序な建築」:古い建物と高層ビルの同居。パリも日本も同じか。
「アルジャントゥイユ」:1984年まで来ると、パリと東京は区別が付きにくい。
フランス、パリの香りがしながらも、どこか人の住む町は同じというか、日本にも通じるところのある写真展であった。
→ロビーにあるドアノーの写真。
■同「川上りえ Landscape Will-2013」。前回来た時は組み立て中だったインスタレーションが完成。
■北海道立文学館「群馬県立土屋文明記念文学館移動展 紙芝居の今昔」。
「鞍馬天狗 杉作兄妹の巻」:笑点で林家木久蔵が杉作ギャグをやっていたのだが、意味が分からなかったよな~。ここでは鞍馬天狗が沖田総司の身の上話を聞き、首を軽く峯打ちして命を助けるという名シーンがあるのだ。
「元祖黄金バット」:悪人が「何が何だかわからぬうちにやられたぞ」と説明セリフを吐きながら谷底に落ちていくのは笑える。そしてどう見ても黄金バットの顔は悪役だろう。
「稲むらの火」:海岸線が急激に引いたのを見た男が、山の上で稲むらに火を付ける。村人たちは消火のために山に登ってくると、男が火を付けたことを知り、気まずい雰囲気に。しかしその時、村に大津波が押し寄せる。村人たちは助かったというお話。こういう話が教訓として残っていたのだろう。
「サルカニ合戦」:猿の手などが縞状に描かれており、多分、スリットを通して動かすと動いて見える仕掛けなのだろう。
「やんちゃのやんちゃん」:汚い手でおやつを食べ、赤痢になるという教訓ものだ。
今でこそ街頭紙芝居のイメージが強いが、戦中は教育紙芝居が国策紙芝居に変化し、「お国のために」的精神を伝える道具として使われた模様。また紙芝居倫理規定管理委員会(映画でいう「映倫」か)の運営分担金に紙芝居制作会社は苦しんでいた模様。いろいろなことがあったのだろう。