散歩日記X

札幌を中心に活動しています。食べ歩き・飲み歩き・ギャラリー巡り・読書の記録など

春の東京(8) 馬祭り(3)

2014年03月17日 22時57分03秒 | 飲み歩き・東京
ここで仕事の打ち合わせをはさんで、夜になってから三田に戻ってきた。昨日(いや、前回の出張時に)見かけて、気になっていた馬肉バル「H」に行ってみよう。席に座って、軽くグラスビール、通しは馬ハツ煮のレモン風味。さっぱりした味だ。



まずは馬肉屋のパテ・ド・カンパーニュを注文。なんとも巨大なパテ塊がやってきた。馬肉には癖がないので、馬らしい感じはそれほどしないが、肉肉しい所にマスタードをつけて食べる。これは赤ワイン持って来い! だな。



もう一品は馬もつ煮込みを注文。これは馬のホルモン部分のビール煮込みである。味はあっさり味噌煮込み風という感じで、ほのかに香りはあるものの、スープが至極旨い。もう一杯赤ワインを追加したものの、結構これで腹に来てしまった。



明日も早朝移動なのでこのくらいにしておこうかな。



三田駅方面から田町駅を経由して、ちょうどそこにあった「富士そば」で締めていこう。もう余計な具はいらないので、かけそば(240円)で十分である。



風呂上り用に缶チューハイ、明日用にウーロン茶を購入し、ホテルに戻る。当然酔っ払っていないので、快適に今、この記事を書いているしだいである。後は少しメモを整理して、24時前には寝ることにしよう。


→ホテルの中庭の夜景。なんだかなあ。

春の東京(7) アンディ!

2014年03月17日 14時41分12秒 | ART
続いて森美術館「アンディ・ウォーホル展」。正直それほど好みではないのだが、まあせっかくの機会だし見ていくことにしよう。



「女装した自画像」:森村泰昌を思い出す。
「長い馬」:馬の体を紫に塗っているのだが、インクをにじませて模様を描くのが、水墨画のようでもある。
「屏風」:カラフルな蝶の羽を持った天使が向かい合っている。左右対照の図であり、日本的屏風の要素は感じられない。

「潰れたキャンベル・スープ缶(ビーフ・ヌードル)」:潰れたあたりに人の手の介在が感じられるため、後にでたキャンベル・スープの作品とは違って感じられる。
「リステリン瓶」:薄黄緑色の地に薄茶の瓶。実にいい色合いだ。
「自殺(シルバーの飛び降りる男)」:本物かと疑ってしまうが、警察などから入手した事件の写真を使っているらしい。現代ではありえない、と言いつつも、豊田商事事件のようなことも起きてしまうわけであるが。

「電気椅子」:赤と水色を主の色とした2点。家具と何が違うのか、という問いかけ。
「ジャッキー」「エルヴィス」:日本で言うと美智子妃殿下と石原裕次郎か。日本人でも「ああ、ニュースのときに見た写真だ」と思うのだから、アメリカ人にとっては、感慨深い像なのだろう。
「マリリン・モンロー」:さまざまな色彩のマリリンだが、緑色の顔のを見ると、「スタートレック」でよく緑色の顔をした凶暴な異星女性が登場したのを思い出す。左耳の下に飛び散る色彩は、一瞬の線香花火のようでもある。

「銀の雲」:暖かい展望室にフィルム袋にヘリウムガスを入れて浮かべたもの。部屋にはファンが一機だけあるのだが、なぜか床の近くに固まる集団と宙に浮かぶ集団があり、糸で吊り下げてすらなく、生き物のように動くのだ。時々2つの袋がじゃれているみたいにも見えて、絶妙なバランスの傑作。
「ファクトリー」:ウォーホルの作業場所を再現したもの。地下室らしい造作に男女のトイレ、非常口があり、Brilloの段ボール箱や実に鮮やかな「花」の4作品が展示されている。また、箱を持つものと、電話をするウォーホルの等身大写真も展示されている。ウォーホルは実験大好き君だったのかな。
「注文肖像画シリーズ」:金を取って何が悪い。昔っから画家はそうやって来たじゃないか、と言うシリーズ。坂本龍一の肖像画はワイン購入者へプレゼントとして贈られたらしい。アレキサンダー大王の肖像画もあったが、注文したのは誰なのか?

「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ」:なんだか音楽がなっていると思っていたが、1時間7分のリハーサルビデオが延々と流されていた。しかし、この60年代ロックがたまらないほどの傑作。まあ、私はヴェルヴェットが大好きではあるのだが、延々と続くヴェルヴェットサウンドがこたえられない。リズムでどんどん快感が増していくのは、お経に近いものがあるな。この音源、ウォーホル美術館とクレジットがあったが、市販しているのかな。何だかんだで、ほぼ大部分聞いてしまった。
「TDKコマーシャル」:1983年のCMにウォーホルが登場したもの。なぜか記憶にないと思っていたのだが、私が受験から大学に進学した頃のテレビを持っていなかった時代にかかったものらしい。
「人体図」:ポップに簡略化された人体。人体の記号化か、それとも人体は機械と同一視できるかもしれないという思いか。

「ハンマーと鎌」:実物らしいものの上に、赤い色が塗られている。その赤は共産主義の印か、それとも血の色か。
「十字架」:黒字に十字架の黄色の色彩が衝撃的。何となく佐伯ユウゾウの死の直前に描かれた作品を思い出した。
「自画像」:「カモフラージュ」という2作品に挟まれた、ウォーホルの顔に迷彩が施された自画像。決して長いとは言えない人生。ずっと演技をしながら走り続けたのだろうか…

最初に言ったように決して興味のある作家ではなかったのだが、これだけの作品を時代に沿ってみると、感慨深いものがある。正直なところ、内容に予想のついていた「ラファエル前派展」よりも、ある種の衝撃があった展覧会だった。こちらの観覧者はファッションに気を使った若い女性が多く、「ラファエル」の客層とはまったく違ったのも興味深い。



展覧会が終了したので、「ラファエル前派展」の図録と「ウォーホル展」の小物を購入。

毛利庭園に行き、Martin Puryear「GUARDIAN STONE」。



Jean Michel Othoniel「Kin no Kokoro」。こちらは女子高生が記念写真を撮っていたので、変質者と思われないように、遠くの方からの撮影。


春の東京(5) ラファエル

2014年03月17日 11時32分53秒 | ART
加湿機をつけているのに部屋が乾燥しているせいか、断続的に目が覚め、結局は6時に起床。二日酔いもなく、体調はまずまず。7時過ぎまで待って、ホテルのロビーで朝食。今朝は、ご飯、味噌汁、卵焼き、鯖焼き、サラダ、肉団子、納豆、海苔、漬物を少しずつ食べた。やはりご飯を出してくれる朝食はうれしい。

 

ホテルは品川の隣駅のそばとあって、鉄の方にもお勧めだ。下の写真にも電車が3本写っていたりする。



朝食終了から、美術館の開館まで時間をつぶすのが大変。新聞を読みつつ、ダラダラする。9時半ころに六本木に向けて出発。まずは今回の第一目標、森アーツセンターギャラリー「ラファエル前派展」である。



早速、入場券を購入して美術館へ。今日はなぜか無料ロッカーが閉鎖されているという不親切な状態である。ロッカー数が足りないから、下手に貸さないということなのかなあ。

ハント「クローディオとイザベラ」:やんちゃな兄は、少女マンガの雰囲気である。
ミレイ「マリアナ」:藍色のビロード服は妙に豊満な女性の肉体を隠しており、アンビバレンツな感じ。
ミレイ「オフィーリア」:凍りついたように川に流れていく女性と、周りの植物の不思議な生命感。

ウォリス「シェイクスピアが生まれた部屋」:木の床と石壁のリアリズム。
コールデロン「破られた誓い」:物陰で逢引をする二人の様子を察し、目をつむる女性。美人さんだが、なんとなくお堅い感じなのか。
ミレイ「両親の家のキリスト(「大工の仕事場」)」:妙な実在感のあるキリスト一家。労働者の手が生々しい。

ロセッティ「見よ、我は主のはしためなり(受胎告知)」:マリアが受胎告知におびえる姿。まるでマリアの様子はムンクの作品に登場する、病気の女性のようだ。当時、既に救世主伝説はあったのだろうか。あったのであれば「まさか私の子が」と思い惑うのだろう。
ブラウン「ペテロの足を洗うキリスト」:その様子を覗き込んでいる、十二使途の表情が生々しい。
セドン「謀略の丘から望むエルサレムとヨシャファトの谷」:宗教的神々しさよりも、土地のリアルな姿が表現されている。当然、宗教の始まりは、土地に根ざしたものだったのであろう。

ブレット「ローゼンラウイ氷河」:手前の白い石、塔のように立つ岩壁、そして圧倒的に白く大きい氷河。イエスのアルバム「リレイヤー」のジャケットを思い出す。
ディヴィス「ある日の猟果、ビドストン・ヒル」:一般市民らしい女性たちが貝を拾っている。食べるためと言うよりは、貝殻コレクションをしているらしい。このように人々に科学(博物学の一端)が浸透していることを表すかのように、空にはドナーティ彗星が浮かんでいる。
ブラウン「あなたの息子をお抱きになってくださいな」:ちょっと目が離れ、前歯だけがやけにはっきり見える怖い女性。子供を抱いて迫ってくると言う、男性にとってはうなされそうな図。翌年この子が死んで、作者は絵の作成を放棄したらしい。ああ!

ハント「良心の目覚め」:とにかく家具や壁紙の模様、服の模様などで白いところがなく、ビッシリ。過剰性を感じる。
スティーヴンズ「母と子」:画を描くのに時間がかかりすぎ、最終的に評論家になったと言う作者。確かに小道具が多すぎる感じ。
マーティノウ「我が家で過ごす最後の日」:破産してしまった家族、主はやけっぱちで乾杯だ!

ミレイ「安息の谷間「疲れし者の安らぎの場」」:夕暮れに墓を掘る尼僧とそれを見る尼僧。死との境界の世界を表現している。
ロセッティ「ベアタ・ベアトリクス」:人物の周りにほのかな金色が光る。女性は目を閉じ、芥子の花を加えた鳥が飛び、すべてが死のイメージだ。
ロセッティ「最愛の人(花嫁)」:中央の女性は緑色の日本の着物を着ている。また手前には黒人少女がいるなど、異国風。

ロセッティ「プロセルピナ」:ロセッティの描く女性って、どこか男顔で苦手なんだよな。とはいえ、これはモデルのことを好きじゃなきゃかけない作品だ。
バーン=ジョーンズ「愛の神殿」:これは青木繁が影響受けまくりだろう。
バーン=ジョーンズ「「愛」に導かれる巡礼」:茨に表現される苦難を乗り越えて進む巡礼を描いた、大作。

展覧会自体の感想としては、見ている人に年配の女性が多い。そして分かりにくい画が多いせいか、解説文が長く、それを全部読もうとして実に進みが悪いのだ。途中からはある程度流れが良くなったが、結構疲れた。また、画題にあわせ額がかなりゴージャスだったのも、特徴であろう。