ホイットニー・ヒューストン急死のニュースを聞いて驚いたが、48歳という年齢を聞いて、そんなに若かったか・・・とさらに驚いた。
洋楽をほとんど聴かなくなって久しいので、芸能活動から遠ざかっていた時期があったことを知らなかった。結婚して娘をもうけたが、麻薬に溺れたり、離婚したり、いろいろ大変な時期があったんだ・・・
歌手デビュー前はモデルもやっていただけあって、すらりとしたプロポーションだった。「ベストヒットUSA」など、ミュージックビデオを流す番組が出始めた頃で、「How will I know」のビデオとか、可愛くて印象に残っている。
ケビン・コスナーと共演した映画「ボディガード」と、主題歌で大ヒットした「I will always love you」が有名だけど、私は「The greatest love of all」が好きだった。「No matter what they take from me, they can't take away my dignity(何を奪われても、私の尊厳は誰にも奪えない)」というくだりが特に。
しかし、この曲のオリジナルを歌ったのはホイットニーではないということを、今回初めて知った。モハメド・アリの伝記映画のために作られた、ジョージ・ベンソンの歌だったのだそうで
ホイットニーの雄大な歌唱も、一つ一つ語るようなジョージ・ベンソンの歌も、それぞれいいな
香港では、陳百強(ダニー・チャン)が広東語でカバーしている。タイトルは「至愛」。ほぼ原詞のイメージどおりに書かれた広東語詞だが、一つ当時としては新しい(と思われる)試みをしている。
「盡力去幹創出新[ロ既]路(全力で新しい道を切り開いていく)」というくだり。形容詞と名詞をつなぐとき、広東語では形容詞+「ロ既」+名詞となるが、歌詞では一般的に北京語に準拠する書き言葉を使うので、形容詞+「的」+名詞が使われる。「的」は広東語で[dik](ディッk)と発音される。
「ロ既」は広東語で[ge](ゲ)という発音なので、歌のなかでは美しくないと考えられているのだと思う。今でも、ラップなど完全に話し言葉を使う歌詞以外は、「的」しか出てこない。
この曲でも、ほかの部分では普通に「的」を使っているのに、ここだけ「ロ既」なのはどうしてなのか。何か特別な意味をこめていたのか。当時はどんなふうに受け止められていたんだろう?・・・今度香港の友人に聞いてみよう・・・
香港では1986年にヒットしたが、そのわずか7年後に、彼は世を去った。
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