いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

久間発言雑感

2007年07月03日 21時20分55秒 | 日本事情

久間発言 久間防衛相の原爆「しょうがない」発言全文 (現在リンク切れ)より転載;

久間氏;
ソ連、中国、北朝鮮と社会主義陣営、こっちは西側陣営に与したわけだが、欧州はソ連軍のワルシャワ条約機構とNATO軍が対立していた。そのときに吉田茂首相は日本はとにかく米国と組めばいいという方針で、自由主義、市場原理主義を選択した。私は正しかったと思う。

これは話は脱線するが、日本が戦後、ドイツみたいに東西ベルリンみたいに仕切られないで済んだのは、ソ連が侵略しなかったことがある。日ソ不可侵条約(※正しくは日ソ中立条約)があるから侵攻するなんてあり得ないと考え、米国との仲介役まで頼んでいた。これはもう今にしてみれば、後になって後悔してみても遅いわけだから、その当時からソ連は参戦するという着々と準備をしていて、日本からの話を聞かせてくれという依頼に対して「適当に断っておけ」ぐらいで先延ばしをしていた。米国はソ連が参戦してほしくなかった。日本の戦争に勝つのは分かった。日本がしぶといとソ連が出てくる可能性がある。

ソ連が参戦したら、ドイツを占領してベルリンで割ったみたいになりかねないというようなことから、(米国は)日本が負けると分かっていながら敢えて原子爆弾を広島と長崎に落とした。長崎に落とすことによって、本当だったら日本もただちに降参するだろうと、そうしたらソ連の参戦を止めることが出来るというふうにやったんだが、8月9日に長崎に原子爆弾が落とされ、9日にソ連が満州国に侵略を始める。幸いに北海道は占領されずに済んだが、間違うと北海道はソ連に取られてしまう。

本当に原爆が落とされた長崎は、本当に無傷の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなという風に思っているところだ。米国を恨むつもりはない。勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという、そういう思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るということも頭に入れながら考えなければいけないと思った。

いずれにしても、そういう形で自由主義陣営に吉田さんの判断でくみすることになり、日米安保条約で日米は強く、また米国が日本の防衛を日本の自衛隊と一緒に守るということを進めることで…。戦後を振り返ってみると、それが我が国にとっては良かったと思う。


■うーん、難しいね。久間さんの言いたかったことはソ連に占領されなくてよかった。米国に占領されるなら原爆もしょうがないということらしい。

この久間発言で面白いのは吉田茂が出てくること。おいらは何も戦後のいわゆる吉田ドクトリンについて言及しようというのではなく、吉田こそあの近衛上奏文の協力者らしいということである。

早期和平ニ付近衞公爵上奏文(いわゆる近衛上奏文)

近衛の書いたものは『米英本位の平和を排す』など、びっくりするほど世の中を穿っているからおもしろい。 この戦争末期の近衛上奏文の骨子は、戦争をし、かつ今一億玉砕を叫んでいる軍部というのは共産主義者なのだ。彼らをここで止めないとソ連に占領され、皇室はなくなるだろう。だから、早く米英に降参せよ、というもの。

さて、吉田。吉田ドクトリンを軽武装・経済優先の政治戦略と現在解釈されているが、おいらは、違うと思う。吉田はマッカーサー憲法の主権放棄・軍事権の放棄を以って日本から軍人をなくしたかったのである。なぜなら、軍人は、職業軍人は、「職業軍人ノ大部分ハ中流以下ノ家庭出身者ニシテ、其ノ多クハ共産的主張ヲ受ケ入レ易キ境遇ニア」るからである。つまり、吉田は共産主義の温床となる軍部を日本から追放したかったのだ。なぜなら、政治がいきづまると軍人がクーデターを起こすからだ。本人たちは明治維新の志士のつもりでも、時代は20世紀、そして資本主義が進むと赤色革命とたがわなくなるからだ。だから、米占領軍と連携して、軍人を追放した。その連携を実現したのが ひろひとさん のマッカーサー憲法の公布に他ならない。そして、しつこいけどこのブログで何度も言及している、ひろひとさんの原爆やむなし発言である。

われらが 臣・章生 はこの路線でものを言っているのだ。


賛成とか反対とかは別に、この吉田の見識と実現は、ものすごいものである。さらには、「吉田ドクトリンは軽武装・経済優先の政治戦略」という現世のばか学者の「誤解」で、本来の「共産主義の温床となる軍部を日本から追放」するという本来の戦略が隠蔽されているのである。



然るに、我知識階級の個人主義はバン近驚く程発達して居る。犠牲的観念など少しも認められらない。犠牲的観念は方向こそ異にすれ、寧ろMarxistに多分にあると書き残した、

職業軍人ノ大部分ハ中流以下ノ家庭出身者ニシテ、其ノ多クハ共産的主張ヲ受ケ入レ易キ境遇ニア」るという近衛・吉田が絵に描いたような、

われらが筑波山麓出身の 陸軍少佐・鈴木庫三さん は、あすたのこころだ~!