つくばに新しくできた大型モールiiasに、大型書店があるというので、行きました。実は先週の昼間行こうと思ったのですが、車が渋滞して近づくこともできませんでした。なので、夜8時に行きました。ちなみにwebsiteで営業時間が23時であることを確認。
くまざわ系でした。確かに広いです。
新刊の『日本語が亡びるとき』を探しましたが、すぐに見つかりませんでした。文芸評論、日本語のコーナーにはありませんでした。店のはしの検索コーナーで探すと、店内に在庫はあるそう。
店員さんに聞きました。探してくれました。
オピニオンのコーナーにありました。『反貧困の学校』と『中国が日本を植民地にする日』の間にありました。
それで、いろいろ店内を見てまわっていると、なんと、蛍の光。ぎょえ、9時閉店。1時間しか本を見れなかった。なんのために来たのかわからない。
■ちなみに、『日本語が亡びるとき』、巻頭がいきなり、ほろびるね、です。 そして、今日、おいらが引用を間違っていることに気づきました。
滅びるね → 亡びるね、 です。 漱石センセの文章をほろぼしてごめんなさい。
▼そんな今朝、文化放送の竹村健一センセの番組で、猪口孝センセが、英語は道具力 (think book)を基調とした、英語論をしていました。主張は上記本参照。そして、新潟県立大学の学長(?)になった猪口センセは、授業を英語でやることを推進しているが、うまくいかず、という話でした。難しいですよね、education in English media。 番組内容の詳細はこちら。
たとえば、日の丸戦車をつくっている三菱重工の売上の半分は、海外案件とのこと。つまり、いかに日本そのものという近代組織でも、現在は世界を「顧客」としなければやっていけないということです。その対称がデーガク。少子化だから、デーガクの経営上、日本語を話す(それもあやしい)「おバカ」な子供を入学させるか、あるいは、アジアを中心とする外国からの子供を入学させるしかない。後者は、日本の教職は 藤野先生 たるべしである。ただし、言葉は英語、education in English media、ということだ。つまりは、偽毛唐による偽毛唐の量産、ってことだな。
ところで、おいら初めてお声を聞きましたが、猪口センセって、ずーずー弁の痕跡が残っていますよね。
●水村美苗が、自己劇化なのか、フランス語を専攻したのは、英語になじめないので、英語よりも卓越性のあるとされるフランス語を選び取ったと、上記書では、述べている。 これは結構ある話で、篠沢秀夫は、戦争で米英に負けて悔しい時に、英語より卓越した文明であるフランス語/文明を選び取ったと、本気かウソか知らないが、述べていた。平川 祐弘センセもその部類らしい。
さて、このアナロジーで考えると、ずーずー弁の人(←文化資本的視点からみた、二流市民の象徴!)が、英語を選び取って、標準日本語を話す主流派/えすたぶりっしゅめんと日本人に、復讐的に卓越性を誇るというのはありうるのかなぁと、渡辺昇一センセや、あるいは、(ずーずー弁ではないが、二流市民だと口さがない京童が言う)竹中平蔵サンを想定して、思いつきました。
▼その点、食う為に、地に足がついた、典型的Japanese-Englishを、ヒングリッシュのインド人、シングリッシュのシンガポール人、あるいはZの音を発音しないスペイン人などとの仕事のために、必死に使っているおいらは、スノビズムとか卓越性とかと離れている分、幸せなのかなと思ったしだいです。