いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

日帝の手切れ金

2009年11月03日 19時40分45秒 | 日本事情


池袋ジュンク堂の7階の理工書売り場に行ったら奥に「木田元書店」なるものがあった。池袋ジュンク堂のほかの階などでこの「木田元書店」の案内や呼び込みを見なかった。おいらが、気付かなかっただけなのか?とおりすがりの哲っちゃんは素通りしてしまうだろう。木田元推薦?の本を並べているらしかった。ただし、大日本帝国海軍や兵学校関連の本は並べられていなかった。

木田元書店、好評のため延長になりました。

闇市ではないようだ (w)。

日帝の手切れ金

少し前、たまたま読んだ2冊に日帝の手切れ金のことが書いてあった。これまでおいらがわずかに読んだ戦争体験記には書いてないことだ。

■1.
 帰りの汽車の中で私は退職金にこだわっていた。私たちは大学在学中に学業を中断して、国防に奉仕することを要請された。私たちはこの要請に応じるのが国民の義務であると考え、義務を果たすためには死すら覚悟した。政府や軍は、彼らのひとりよがりの戦争目的を達成するために、次々と無謀な作戦を強行して失敗し、最後に私たちが動員された時には、私たちがどれほど力戦奮闘しても絶対に勝算がないような状態に日本は追い詰められていた。
 にも拘らず、私たちは戦った。勝てる筈がないことを承知で戦ったのだから(理性ある海軍軍人ははっきりとそう認識していた)、勝つために戦ったのだといえば嘘になる。国民の多くが義務だと言われて従軍させられているのに、自分たちだけがそれを忌避するのは背徳的であるから、私たちは義務を果たしたに過ぎない。このような行為は金銭抜きの行為であり、それに対して退職金を支払うのは紳士に対してチップを渡すような侮辱である。しかも私が戦った戦は戦とはいえない。にもかかわらず私が受け取った金額は、少尉の月給に戦時加算したものを更に何倍にもした莫大な額であった。「学徒兵は傭兵でも職業軍人でもない!」
 私は「いやな金」を受取ったことを後悔した。
 しかしディレンマはすぐに解決した。  (中略)  背嚢の蓋をあけて中に入れてある財布に切符が入っているかどうかを確かめた。(略)背嚢は通路に置いたままであった。便所から出て、西宮で降りて改札口で切符を出そうとした時に、初めて私は何が起こっていたかを了解した。
 切符は憲兵隊に事情を話して無料で再発行してもらったが、金は―父からの大金をも含めて―全部無くなっていた。しかし私は、喉に詰まった玉が溶けた思いであった。 「金儲けに軍隊に行ったのではない」 と私が力説したら、彼女は、 「でも間抜けさんであることには変りないわ」 と言った。
 これで私の青春の一時期を劃した海軍生活は終わった。

-森嶋通夫、『血にコクリコの花咲けば』 第三部 第二二連合航空隊司令部以後 -傲慢と頽廃に抗して-


■2.

 品川に着いたが、東京は焼野原、中野区の先輩の住所を訪ねたが、まったく関係のない人が住んでいて消息のつかみようもない。誰かに教えられて、上野駅の地下道にいき、焼け出されたり、復員しても行き先のなかったりする人にまじって、野宿をはじめた。闇市もできていたし、浅草にいくと、怪しげな雑炊のようなものを食べさせてくれた。兵学校を出るときに一律に渡された六〇〇円が、まだ半分くらいは残っていたのではなかろうか。あのころは汽車賃など安いものだった。

-木田元、 『猿飛佐助からハイデガーへ』2 「俳文俳句集」-


ちなみに、この600円の当時の貨幣価値について、木田は当時浅草で夕食が10-20円で食えたと別の機会に述している。


  
もらったはずだよ、手切れ金

写真左;阿川弘之、 同右;松本善明

●こりゃ、ひどい;

猫猫センセ曰く;

まあ、宮本顕治が十二年間獄中にいたから崇拝されたのと同じ構造だわな。北海道って空襲がなかったから、網走にいた宮本は実は妙に安全だったというわけ。*1

いえ、いえ、北海道は空襲どころか、艦砲射撃をも受けて、室蘭、釧路は壊滅しているんです。 おそるべし! 『すばらしき愚民社会!』。 バカが意見する世の中! おいらもバンバン意見しちゃってます。

(注目すべきは、艦砲射撃=沖合に敵がいる、ということ。上陸作戦が次に来てもおかしくない。最初に北海道に米軍が上陸して、 バスチーユ 網走刑務所「解放」!ってなことになったら、それはそれで、おもしろいかも。府中じゃなくて、網走で、マッカーサー@解放軍万歳!が)


洗練された情熱派。 (おいら、泉谷しげるがムショから出てきた写真だと思っていたよ)


猫猫センセは都合の悪いことはあとから消すので、保全。

たとえば、この愚記事の猫猫センセブログへのリンク先;すっぱり消去、あとアナン事務総長(当時)の夫人問題、や安倍晋三の成蹊大卒という学歴も消去。 

*1
以下、コピペ;


  「湾岸戦争に反対する文学者の署名」に署名した人が偉そうなことを言っているぞ。最も低レベルな思想的行為をした人が。あの件はどこかで総括して謝罪したのかな。

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前に『童貞放浪記』のイヴェントで阿佐ヶ谷へ行った時に、見沢知廉関係のイベントのポスターが貼ってあって、何とも珍妙に思ったものだ。明らかに左翼的な雰囲気の中に、右翼活動をして人を殺し、刑務所に関する不平不満ばかり並べていたやつが、なんで左翼のスターになるのだ。政治活動をして刑務所に入って、自殺すると偉いのか。まあ、宮本顕治が十二年間獄中にいたから崇拝されたのと同じ構造だわな。北海道って空襲がなかったから、網走にいた宮本は実は妙に安全だったというわけ。ドストエフスキーなんかも、シベリア流刑があるから崇拝されるのだ。そういうのを「シラカバ派」と言うのだがね。

 だいたい雨宮処凛は、見沢なんぞを崇敬していた過去を清算しているのか。私はもうその点から雨宮を信用できない。