■奇を衒うしかない、あるいはtrivialism
先日、ハイエクと金融工学についての思いつきを記事にした。自分で「ハイエク系"保守"派からのネオリベ批判、金融グローバリズム批判って今あるのかな?」と書いた手前、検索すると、池田信夫の社会工学の幻想にたどり着いた。同日の記事ではあるが、池田センセの方が8時間先の投稿で、さらには、ハイエク 知識社会の自由主義 (PHP新書) (新書)という本もあると知り、おいらが池田センセのねたをパクッたみたいで恥かしかった。
▼ノーベル賞の野依氏、蓮舫氏らの「スパコン、世界一になる必要あるのか」発言に憤慨
そういうことなので、今日は池田センセブログに依存しまくりの上、奇を衒うというありきたりの方法でねたを展開しようと思う。まずは、蓮舫センセ。怖いらしい、仕分け・人民裁判。おいらはテレビでもネットでも蓮舫センセの恐ろしいご活躍を見ていない。ネットの文字による報告だけ十分だ。なぜなら、おいらは恐ろしい映像に弱く、そういうものを見ると夢に出てきちゃうからだ。だから、像の観賞は花猫風月(かびょうふうげつ)に限定している。
そんな怪獣・蓮舫センセに血祭りに上がったと話題なのが理研のスパコンだ。でも、理研のスパコンを標的にし攻撃する蓮舫センセのバックには財務省がいるそうだ。池田センセ曰く、要するに、この事業仕分けは、脚本・演出は財務省で「民主党は仕事してますよ」と国民にアピールする茶番劇に過ぎない。さらに、(血祭りに上がったものは)全て、期限付きの競争的資金か独立行政法人への運営費交付金である。つまり、本来の事業が必要かどうか、という判断で対象が集められたというよりも、「来年から募集をやめます」、とか「来年から運営費交付金をx%カットします」と言えば、それで実行が可能なものが集められているように思えるのである。(大竹文雄のブログ)。
一方、池田はスパコン購入を不要、税金の無駄使いと判断しているようだ。(沈没した「スパコンの戦艦大和」)。つまり、スパコンやその他の科学技術振興予算の削減は財務省の意向であり、削減項目の選定はそう間違っているものではないということではないか?必ずしも、本来の事業が必要かどうか検討されていないわけではないかと見える。
池田センセも指摘しているようにスパコンの必要性、特に費用対効果を考えるとなぜそんな巨額を投入するか説得力力がない。スパコン導入否定に怒っているのが文科省官僚で「日本の科学技術振興政策は終わった」と吐き捨てたり、野依センセは「(スパコンなしで)科学技術創造立国はありえない」と憤慨しているらしい。これに同調して、スパコン中止=日本終わったと言っているのは、おいらがネットを見た限りどうやら"素人さん"に多いようにみえる(検索、科学技術&連舫)(一方、こういう名指し、性格分析[助手在職時代が長く、ある時期まで不遇であったことはつとに知られている]もある)。毎日ブログを書いている研究者でこの問題に憤っているのをまだ見ていない。一番発言が期待されるのに、むしろ、無視、静観している。
初めから「事業仕分け」は基礎科学研究の壊滅を狙っていた:という刺激的な言い方が本当ならば、これは上述のように財務省からのメッセージである。
賢兄愚弟
財務省の官僚は知っているのだ。最先端科学技術への政府支出が産業への効果なんてないこと、そして、GDP増加・経済成長、その結果としての税収増加なんてありえないと。
平成におけるお題目「スパコンと科学技術立国」は、(実際にはいくらなんでもこんなバカな題目はないが)戦前の「戦艦大和と神国日本」に匹敵するほど空疎なものである。仮に「科学技術立国」になったとして産業が順調に伸びるかわからない。今問題なのは科学技術が妙に高度化しオタク化して産業にとって使いものにならない、あるいは事業化・実用化へのプロセスが絵空事であるという事態。つまりは、tax eater部門の科学技術のガラパゴス化である。
費用対効果を考えなくていい、税金を使った職にいるパーマネントの科学者、研究者は楽しいだろう。さらには、もっとそういう職のために税金を出せと主張するだろう。だって、責任がないんだもん。税金使っていい気なもんだ。 うらやましいかぎりである。といつものごとく、ひがみ根性を丸出しにしてしまった (Across a Death Valley with Distillated Resentment! )。しまいにはこんなマリーアントワネット発言にびっくり;
もう一つ関連して、今回の仕分けの様子を見聞きした研究者やその卵は、それなりの数に上ったと思います。 そのような方々は、研究費が税金であることを初めて、あるいは改めて痛感したことでしょう。(科学技術立国と呼ばれた日本の行方) 下線はいか@。
うーん、そうだな。こういう研究者間のたしなめは重要だよな。プチ・アントワネット(つまりは社会に無知で、なんで自分が贅沢やってられているのかに全く関心がない)が有象無象いるんだろう。こぇー。蓮舫に対する、あの上から目線で、なんてことするするんだ!科学を踏みにじる野蛮人!みたいなネットでの研究者や学生による批難は、まるで軍縮を統帥権干犯だ!と怒り狂った軍人を彷彿とさせる。こぇー。蓮舫も純粋まっすぐの研究者もこぇー。⇒恐るべきインテリの怨嗟;愚記事、羊をめぐる暴言
先へ急ごう。宇野弘蔵センセ。
今回のこの財務省(賢兄)による"「道楽に走り現(うつつ)をぬかしている科学技術オタ」"(愚弟)へのしばきを見て、おいらは、1938年の人民戦線事件を連想した。すなわち権力(賢兄)はアカに現をぬかす学者ども(愚弟)にしばきをいれたのだ。この事件は革命の事前予防としてのファシズムとしての弾圧というより、エスタブリッシュメント/帝大における内ゲバ・兄弟げんかであろう。権力側も共産革命が起きて自分たちが転覆されると深刻に恐れたというよりも、自分たち政府のリクルートセンター(帝大)にアカが蔓延し、将来のエリートたちが赤バカ教官に感染し現をぬかし始めたら困ると判断したのだ。 (蛇足;賢兄愚弟──大原社研の昔と今)
宇野弘蔵さんが逮捕された時は現役の教官。仙台で逮捕されたのだろうか? しばかれたのかな? 宇野自身は自著で「自分をマルクス主義者とはもちろんのこと、広い意味での社会主義者とも考えたことはありません」(『資本論の世界』)と語っている(wiki)ことと人民戦線事件逮捕(のち無罪)は関係があるのだろうか?
放蕩息子たち しばき人たち
▼インドはなぜ、IMFから金を購入するのか
そんな宇野弘蔵さんも最近では、がっついたビジネスパーソン (w!) の目に入ってきているそうだ。 Amazon『経済原論』。 でも、真に受けて『経済原論』を読んじゃう酔狂ながっついたビジネスパーソンってたぶんいないべさ。宇野弘蔵・『経済原論』って超蒸留酒。95%のウオトカなんてものじゃない、共沸蒸留しちゃった99.5%の工業用エタノール。蒸留前の発酵原酒はもちろん、マルクス・『資本論』。そんなマルクス風味をすっかり切った宇野弘蔵・『経済原論』だけを読んでいたのでは、「インドはなぜ、IMFから金を購入するのか」という聞くだけでニコニコしてしまうタイトルのこのニュースを味わうことができない;
まさに商品流通の端初においては、使用価値の過剰分だけが貨幣に転形される。かくして金銀はおのずから、豊富または富の社会的表現となる。伝統的で自己需要を目あてとする生産様式に照応して、欲望の範囲がかたく閉ざされているような諸民族のもとでは、この素朴な貨幣蓄蔵形態が永遠化する。アジア人、殊にインド人のもとでは、そうである。商品価格は一国にある金または銀の分量によって規定されると妄信するヴァンダリストは何ゆえにインドの商品はあんなに安いのか?と自問して、インド人は貨幣を埋蔵するからだと答えている。
『資本論』、第三章 貨幣または商品流通、第三節 貨幣
日本人もアジア人として早くドルを金に換えて、埋めた方がいいよ。東アジア共同金埋蔵体!
宇野弘蔵が理論の純化のためにマルクスの文章から蒸留して切り落としたのは、「資本論」の非アルコール成分の風味である。酒の命であるその風味とは、細かいマルクスの衒示的具体例記述(conspicuous description !)と、そして何より、揶揄と罵倒である。マルクスはネトウヨの最高のお手本にほかならない。揶揄と罵倒には高度の技芸が必要だ。まず罵倒したい相手を理解しなければいけない。さもないと、相手の弱点や欺瞞がわからないからだ。かつて、森嶋通夫は福田恒存に言った、「私は福田氏に罵倒されたから怒っているのではなく、罵倒するなら、もっと私が狼狽するような急所をつく罵倒をしろと叱っているのだ」。
▼オバマ米国大統領演説
蒸留酒といえば、サントリーがウイスキーをソーダで割って飲みましょうと販売宣伝をしている(google)。なんか貧乏くさいな。ウイスキーって室温でそのまま飲むのが一番じゃないの? スピリッツ(spirit)は薄めるな(=バカになるな)! そんなにサントリーウイスキーの風味に自信がないのか?ないんだよ。だって、ソーダで割ったハイボールにするウイスキーはなぜかしら「角」だからね。貧乏舌用汎用ウイスキー。「山崎」をハイボールにするって推奨するなら、そのハイボール戦術を認めるけど。さらには、ハイボールって、ウイスキーを割らないと飲めない人たちだましてウイスキー売ろうとする魂胆だ。びんぼうくさい。キチガイ水づくりの末席をけがしている者としても恥ずかしい。
なぜこんなにからむかというと、サントリーが嫌いだからだ。そう、よりによって戊辰の年(1988年)、つまりはあの戊辰戦争からちょうど120年後、サントリーの佐治会長は「仙台遷都などアホなことを考えてる人がおるそうやけど、(中略)東北は熊襲の産地。文化的程度も極めて低い」とおっしゃいますた。このとき、国分町ではサントリーの酒びんがバンバン路上に叩きつけられて、貧乏酒が撒き散らかされたのでした。サントリーの悲惨さは商業主義を"文化"で糊塗すること、それもビンボーくさい底の浅い文化で。卑しいんだよね。これほど酒を侮辱し、文化を冒涜する人々を見たことがない。あと最近やってるセサミンって、あれ大丈夫か?
そんなおバカな会長、つまり、「罵倒するなら、もっと私が狼狽するような急所をつく罵倒」もできない文化程度の極めて低い佐治さんは、熊襲とは九州の先住民の呼称であり東北を罵倒するなら蝦夷と知らなかったのである。だから言ったろう、「揶揄と罵倒には高度の技芸が必要だ」って。
そんなバカでいか@サマ酒を造っている会社のホールで 米英撃滅国民大会 米国激烈信仰大会として1500人のアメリカ真理教信者およびそのシンパを集めて、大統領の演説が行われた。やはり、300人委員会も300人劇場に300人だけ集めるだけではもう対日工作員が足りないと感じたのだろう。つまりは日本人の洗礼には手間がかかるというわけだ。もう洗礼ゲンバク使えないからね。
おいらは日本の対米すがりつきをこれまで批難してきた。でも、鳩ポッポの思いつきなのか戦略的ブラフなのか東アジア共同体構想が案外米国に危機を持たせている。つまり、このままでは東アジアから追い出されるのではないかと。米国は東アジアに"すがりつかなくては"いけない。なぜなら米国債を日中に買ってもらわなければいけないからだ(google 帝国循環)。さらに、米国に廉価な商品を供給する工業ドレイを日中にやってもらわなければいけないからだ。
それにしても演説が終わって会場から出てきた女子学生がインタビューに答えてオバマ大統領の偉大さに感激しましたみたいことを全身震わせて涙目で言っていた。すごいな、アメリカ真理教。今度はおいらにも招待状くれや。
1500人委員会
fucking japって言ってな 不幸の尺八を⇒パス マッカーサーへの手紙、何度でも。
かったからオバマはいい人。
腹黒いけど...。
ということで、今週のニュースでした(サンジャポ風、w)。