いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

【ヨタねた】 技術の殿様?@しかも西国外様大藩ばかり、そして、ぎょっとしたのは、2回

2012年09月16日 11時10分08秒 | 日本事情

 

death valley でがんばっているおいらは、日に日に、技術文書に目を通さなければいけない。

ブログのことなぞ忘れて賃金労働に励まなければいけないのだが、脳内の<ブログ野>、つまりは常にネタを求め続ける部分がつい作動してしまう。

見つけたよ、ある技術文書に引用されていたある文献の著者たちが、西国有力戦国大名の名前だって。

しかも、3れんちゃん。 まず、びっくり。

でも、よくみると、さらにびっくり。 というか前記発見を覆すものかもしれない。

須賀。     蜂須賀ではなくて。 2回目の、ぎょっ

   

あー、そうか。残念だった。蜂須賀って姓もあれば、蟻須賀ってのもあるんだろうな。しかも、3番目の池田はありふれた姓だ。 西国有力戦国大名3連ちゃんなんてのは、幻なのだと。

確認のため、須賀をググってみた。 

ない!

須賀なんて姓はないのだ。 つまりは引用者が誤記したのだ。失礼な話だ。

そして、島津、蜂須賀、池田の連名の特許の原本を調べた。 

あった↓

やはり、蜂須賀だったのだ。  西国有力戦国大名3連ちゃんだったのだ。

もっとも、彼らがホントに西国有力戦国大名の末裔なのかは、まったくわがらない。

■ 蛇足

さて、島津、蜂須賀、池田の大名家の正嫡は、今でもどこかで正嫡であることを自他認して生きているはずだが、その内、蜂須賀家と池田家(岡山、鳥取の両家)は、戦国時代の藩祖とはDNAのつながりはない(註1)。島津は、おいらには、わからない。

これは史実である。蜂須賀、池田は江戸時代の途中で、徳川家から養子を迎え、当主としたからだ。
(13代藩主の蜂須賀斉裕の実父が徳川家斉)

幕末までに外様の大藩の多くが徳川家の血筋(註2)となっていたのである。

例えば、幕末の(嘘か本当かわからない)逸話に、山内容堂が当時の蜂須賀家当主に向かって、おまえんちの祖先は泥棒だろうとからんだという話がある。もちろん、これは、蜂須賀小六が野武士集団=盗賊の頭目であった史実を聞きかじった容堂のからみである。半分、まつがい。蜂須賀当主は"隠れ"「徳川将軍」なのだ。

註1: ただし、男系は徳川家でも嫁の女性が池田恒興、蜂須賀小六のDNAをもっていたことはありうる。
註2: 江戸時代、外様大名は嫁を徳川将軍家からもらうことがあったので、そもそも徳川家の血筋となっているわけだが。

(追記; 元鳥取県民であったおいらは、鳥取・池田家の殿様はあの水戸のキチガイ大名の息子である 斉昭 の息子と知っていた。つまりは慶喜の兄弟だ。今日知ったょ。岡山も9代藩主・池田茂政が水戸藩主・斉昭の九男。 そしてすごいや、兄弟に水戸藩主徳川慶篤と昭武、因幡鳥取藩主池田慶徳、土浦藩主土屋挙直、石見浜田藩主松平武聰、下野喜連川藩主喜連川縄氏、そして江戸幕府第15代将軍徳川慶喜らがいる。 すごいや、キチガイ大名・水戸藩主・斉昭。絶倫だな; 例えば、お殿様で、やたら子だくさんの御仁がいる。徳川将軍で言えば、家斉(いえなり)。特定されるだけで16人の妻妾を持ち、男子26人・女子27人を儲けた(wiki) この子だくさんのなかの少なからずが大名家の養子となる。

■ 蛇足2

かの島津家の自称伝説では、「藩祖」が源頼朝である。御落胤が薩摩に流れついたんだとさ。

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