いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

今日の看猫 2013/1/9、 猫アパート2F

2013年01月09日 20時22分33秒 | ねこ

2階に陣取る三毛猫

■ 選挙のあるクニで

天安門事件(六四天安門事件)は、1989年のことだ。まだ、昭和だったのだ。そして、あきひとさんの天皇訪中は1992年。なんとわずか3年後のことなのだ。両方ともおいらにとって記憶にある事件ではある。でも、それを20年経ってふりかえると風景がかなり違う。ずいぶん前からか銭其琛(センキシン)の手記の公開で、この天皇訪中は天安門事件で国際的に孤立した中国の戦略に利用されたことが明らかになってきている。そして、今改めて調べたら、1992年の天皇訪中は宮沢内閣であり、官房長官が加藤紘一なのだ。今から考えると、何のことはない、対中迎合派の売皇行為(=皇室の権威を外国に売る)だったのだ。わかりすぎる。

あきひとさんは、「先帝の戦争を克服する新時代をひらきましょうよ!」と加藤紘一らに唆(そそのか)されたのではないかとおいらは邪推する。

 出典

 グレゴリオ暦1992年、史上初めて、"日出ずる処の天子"その握手を"日没する処の皇帝さま"にいたす。
(選挙のあるクニの天子、選挙のないクニの皇帝さまに会う)
21世紀の今じゃ、こちらが、"日没する処"!だ。 東にあるのに。

ところで、加藤紘一はリベラルだと世間的には見られている。リベラルという上品な?言葉が嫌なら"うす甘いサヨク"でもよい。そしてそういう芸風がついに選挙民にアイソをつかれ今回選挙でおちたのだ。でもおいらは加藤紘一がリベラルだなんて全く思ったことがない。典型的権威主義者であり、官僚主義者で、ホントは民をバカにしてるのだ。例えば、民主党政権で少しは明らかになりかと思われていた核密約問題。加藤紘一は当事者として大平正芳の側近として核密約を、宮沢喜一らとともに、承知していたのだ。当然、国民には知らせず、知らん顔、ダンマリを決め込んでいた。この点、核密約を立派だと誉めた西川京子センセあたりは、"高貴なる嘘である"といわんばかりであり、日本政府はよくやってきたと評価した。そうなのだ、愚民党右派に評価されるべき御仁なのだ、加藤紘一さん。

さらにはこの権威主義者であり、官僚主義者で、ホントは民をバカにしてる所業の典型が、天皇訪中である。日本国民は天皇を崇拝すべきである、⇒その天皇さまが中国に行った、⇒日本全体は中国と親しくすべきだという発想である。戦後第二の天皇の政治利用である。もちろん、戦後最大の政治利用はもちろん、これだ↓

ところで、ぺル・ギャルポさんは「最終目標は天皇の処刑 中国「日本解放工作」の恐るべき全貌」などと物騒なことを言っている。でも、かなり、政治音痴であるといわねばならない。あえて言えば、「中国共産党総書記の最終目標は、天皇にたいするマッカーサー化」である。わかりやすくいえば、天皇即位式は北京でどうぞ!とも言おうか。

話が飛んだが、加藤紘一さんは、選挙のあるクニでで、落選したのだ。 さようなら。

 そして、みんな走資派 [1]

ネットで話題になっていた。NHKの新春番組、「2013 世界とどう向き合うか」。テレビをもっていないおいらは、YouTubeでみた⇒これ。ありがとう!海賊YouTube!

出演者;
孫崎享(評論家、元外務省国際情報局長)
岡本行夫(マサチューセッツ工科大学シニアフェロー)
新浪剛史(ローソン代表取締役社長)
坂之上洋子(経営ストラテジスト)
土井香苗(ヒューマンライツ・ウォッチ日本代表 世界の人権問題に取り組む弁護士)
濱野智史(情報社会論の批評家)
興梠一郎(神田外語大学教授)

中国とどう付き合うか?という問題に対し、各人意見表明。予め用意された図式のひとつが、対中強硬派 VS 対中宥和派。

でも、驚いたのが、その孫崎享も、そして対中強硬派の 岡本行夫も、みんな日本の課題は経済を強くすること!という結論である。そもそも経営者である新浪剛史(ローソン代表取締役社長) は言うまでもない。

おいらは、がっくし。 結局、カネかよ!と叫ばずにはいられない。 そして、みんな走資派 なのだ。

恐るべし、中国の対日感化力。

ところで、ぬっぽん外務省で、かの岡崎久彦さん(関連愚記事;鷹は群れず)と孫崎享さんが、上司、部下の関係であったと聞いて、うれしくなった。政治音痴の評は;


外務省のいわゆる「情報屋」として、岡崎久彦の後輩にあたり、岡崎の情報調査局長時代は分析課長として仕えた。後述のように親米タカ派の岡崎とは対極の考えを持ち、周囲には意見の違いを心配する者もあったが、岡崎は「勉強して自分の考えを持っているなら、ハトでもタカでもよいではないか」と意に介しなかったという(『日米同盟の正体』あとがき)。wiki

そうか? 二人は一卵性双生児。どういうことかというと、ぬっぽん戦後外交の基本は、長いものに巻かれろ! 99%同じ。

違う1%とは、長いもの認識。

岡崎久彦 長いもの=アメリカさま、 

孫崎享: 長いもの=お支那さま。 

岡崎久彦:対米戦争なんて考えられない!

孫崎享:対中戦争なんて考えられない!

▼ その結局、カネ!という観点からはずれていたのは、土井香苗(ヒューマンライツ・ウォッチ日本代表 世界の人権問題に取り組む弁護士)

1989年の天安門事件(六四天安門事件)なぞすっかり忘れ、中国相手に結局、カネ!に励む日本の中で異彩を発していた。

そして、知ったさ、 時は流れるって;


  1989          at present

1996年ハーバード・ビジネス・スクールに入学、1998年経営学修士の学位を得る。同年夫婦でコンピューター会社 Jenzabar, Inc,を創設、現在経営責任者wiki)。 そして、みんな走資派だ!

● そして、なにより、おいらが、走資派じゃないか! びっくりだよ。

バイトは、《death valley》での業務だ。何のことはない、《資本》の《尖兵》に他ならない。いつだって、おいらは、《尖兵》だ。ぬっぽんすほん(日本資本)の手先として、《尖兵》のおいらは、あるときは、インドまで行った(愚記事;草莽微賎の地球化(グローバリリゼイション))。

そして、知ったさ、 時は流れるって


[1]

余華、『十個詞彙裡的中国』の邦訳(飯塚容)より