いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

降伏文書に見える毛筆の痕跡; 重光と梅津の「払い」

2015年07月14日 19時27分41秒 | 日本事情

東京都江戸東京博物館で、1945年9月2日の戦艦ミズーリでの降伏文書のレプリカを見た(関連愚記事: ぐるっとパス使用記録7; 墨東(墨田・江東)方面+日本橋蠣殻町 )。

外相・重光の「葵」(まもる)の字の筆順最後の「はらい」と、参謀総長・梅津の美治郎の「美」と「郎」の字の筆順最後の「はらい」を書いたとき、署名用の万年筆のペン先が"割れた"とわかる。 筆圧が高かったのだ。 その署名用の万年筆は「さらさら」とアルファベットを流して書く「毛唐」さん仕様であったのであろう。

このミズーリ号の降伏文書で使われた万年筆は、幼い頃から毛筆で字の各所で筆圧が違う文字を書いてきた日本人にとっては、ペン先がやわらかかったのであろう。 重光と梅津は万年筆を持参しなかったのだ。


  重光と梅津

さて、1945年9月2日の戦艦ミズーリでの降伏文書になぜ二人の署名が必要であったか?というと、外相・重光だけでは日本政府は代表できても、日本政府の完全制御下にあったわけではない大日本帝国陸海軍を代表できなかったためであろうと思われる。でも、そうだとすると、海軍軍令部長はなぜ署名に参加しなかったのか?という疑問が湧く。何か、理屈があるのだろう。これから、おいおい、調べる。

関連愚記事群