いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

改造社、新鋭文学叢書; 林芙美子 『放浪記』はその一巻

2015年07月26日 19時52分08秒 | 


 上画像はネット上からパクリました。

もちろん公知のこと。おいらは、知らなかった。 林芙美子 『放浪記』は1930年に改造社から発刊されたと本に書いてある。その 林芙美子 『放浪記』は、改造社の新鋭文学叢書の企画シリーズ(全部で20冊程度)の一冊として刊行された。そして、シリーズの中で、林芙美子 『放浪記』が50万部売れたのだ。この年は、世界恐慌が日本にも波及した頃だ。さらに1931年には東北、北海道地方はひどい冷害であった。「1931年(昭和六)には東北・北海道が冷害による大凶作となって、岩手県三万人、青森県一五万人、秋田県一万五千人、北海道二五万人など、計四五万人が餓死線上にたたされた」(大系昭和の歴史⑭、「二つの大戦」、江口圭一)。

林芙美子って、その名前と代表的作品名、『浮雲』、『清貧の書』、『牡蠣』、『風琴と魚の町』など古臭い印象を今の人に与えているのではないだろうか?おいらだけが持った印象であろうか?事実は、林芙美子は1920年代のモダニズムの寵児である。さらにはモダニズム主流派?より過激なアナーキズム的グループにもいた。一方、プロレタリア文学にも少し参画している(雑誌、文藝戦線)。なにより、性的アナーキスト(平林たい子 評) だ。

 
   あっぱれ人妻 (ともに身長145cm)

そのモダニズムの時代の子という証拠が、林芙美子 『放浪記』の装丁である。上図。改造社の新鋭文学叢書の企画シリーズは全てこのデザインであったらしい。典型的、モダニズム(ロシア・アバンギャルド風味の)である。

新鋭文学叢書の企画シリーズの著者を見ると、その錚々たること、驚く。すごいな、当時の改造社の編集者。

『東倶知安行』   小林多喜二
『耕地』      平林たい子
『暴露読本』     貴司山治
『海と飛魚の子と』  林房雄
『鉄の規律』    明石鐵也
『傷だらけの歌』   藤澤桓夫
『浮動する地価』  黒島傳治著
『労働日記と靴』  鹿地亘
『辻馬車時代』   藤澤桓夫
『労働市場』     橋本英吉
『研究會挿話』   窪川いね子
『正子とその職業 』 岡田禎子
『情報』      立野信之
『歩きつゞける男』  片岡鐵兵
『ボール紙の皇帝萬歳』  久野豊彦
『約束手形三千八百圓也』 徳永直
『ブルヂョア』   芹澤光治良
『十九の夏』   龍膽寺雄
『屍の海 』   岩藤雪夫
『反逆の呂律』  武田麟太郎
『放浪時代』   龍膽寺雄
『隕石の寝床』   中村正常
『不器用な天使』  堀辰雄

(情報の元:cini 新鋭文学叢書 )

当然だが、この新鋭文学叢書シリーズには「右翼/ファシスト/日本浪漫派」はいない。もっというなら、その頃「右翼/ファシスト/日本浪漫派」の思潮は「なかった」のだろう。彼らは、モダニストやプロレタリア文学者たちであったのだ。

彼らの多くが、林芙美子も含めて、後に逮捕される。そして、転向。つづく総動員・戦争時代を生きていく。

というか、満州事変・支那事変(日中戦争)・大東亜戦争での文化活動の主要実施者はこの1930年組(彼らの多くは1900年前後に生まれている)である。

この中で、一番商業的に成功したのが、林芙美子 『放浪記』とのこと。50万部売れたそうだ。

一方、外国語に訳されたのは徳永直である。林芙美子の訪欧記に徳永の「太陽のない街」がドイツ語に訳されたことを知る場面がある。