第一回男子普通選挙(1928年2月)で社会民衆党から
立候補した菊地寛の選挙ポスター
(ネット上からのパクリ)
最近知って、驚いたこと (=今まで知らなかったという自分に自分で驚いたこと)。
菊池寛は、1928年(昭和3年)、第一回男子普通選挙に無産者党から立候補。落選。
注目点は保守系の既成の大政党から立候補したのではなく、社会民衆党という「無産者党」から立候補したこと。
(今の「文藝春秋」からのイメージは「保守」的、あるいは少なくとも、非左翼的というものではないだろうか?)
この時代の雰囲気は今の人には理解しづらいのかもしれない。おいらもよくわかっていない。
20世紀初頭の日本社会は、今の時代を格差社会というのがバカらしいほどの格差・階層社会。
参照愚記事:日本ファシズムと日本人民戦線の幻と現実
横軸が時代。縦軸は所得の源泉。戦前は給与所得=賃金労働による収入より、利子所得・配当所得・不動産所得など不労所得などが圧倒的に多かった。
すなわち、資本者階級(頭かずでは少数派)が経済・社会でのさばっていたのだ。
そういう時代、1920年代に、例えば、マルエン全集(=マルクス・エンゲルス全集)などが出版されていた時代。ちなみに、自国語でマルエン全集が巷に流通していたのは日本だけではないだろうか?欧米では、マルエン全集はあっても原語かアカデミズム用の出版物。日本では大衆出版社/改造社が格安でマルエン全集を巷にあふれさせた。
こういう時代背景で、上記菊地寛のポスターの「読書階級の人々は」とあるのだ。「読書階級の人々は」、配当所得・不動産所得など不労所得にあずかる人ではないのだ。現実の社会で利益の果実にあずかれないので、知識や観念でこの世を把握しようとする人々だ。でも、それは食べられるものではないのだ。だから、自分たちに恩恵を与えない社会はぶち壊せ!と気づいたのだ。
そして、こののち、彼らは革命と戦争の時代における重要な担い手となる。
社会の平等化、社会の平準化への運動として発現する、この運動の一環が親米鋭的特権資本家階級・富裕層を打破する運動であり、対外的には対米英蘭戦争であった。 そして、「成功」したのだ。上図(戦前富裕層の没落)。
戦前の「ファシスト」/「軍国主義者」は、無知な野蛮人なのではなく、よく本を読んだ造反者たちなのだ。