いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

ホワイトハウスに行きたかった毛沢東と周恩来 @1945

2016年07月17日 19時50分06秒 | 中国出張/遊興/中国事情

およそ六十年間にわたる公人としての生活の中で、私は周恩来よりも人の心をつかんで離さない人物に会ったことはない。
  『キッシンジャー回想録 中国 (上)』 第9章 関係の再開 [愚記事]

本に書いてあることなので、とっくに公知なのですが、ネットにあまり見ない情報なので、コピペします;

下記コピペの前述要約: 1944年6月 [まだサイパン島は陥落していない頃] 米国大統領は副大統領を中国に派遣。蒋介石と協議。対日戦争について。米国は国共軍支援のため米軍の中国大陸上陸を考えていた。この時、米国は、蒋介石が反対しなかったので、米国使節団(正式名:合衆国陸軍監視団)が延安(毛沢東がいた中国共産党の拠点です;[十八君のために])との接触を始めた。

 以上のような積極的な米国側の提案に勇気づけられ、毛沢東と周恩来は、一九四五年一月九日、延安のデキシー・ミッションを介して重慶のアルバート・C・ウェデマイヤー司令部宛てに、直接「最高の合衆国公官」に次の申し入れを行うことを求めた。すなわち、毛沢東と周恩来がワシントンを訪れ、「第一の中国政党の指導者」としてホワイトハウスでローズベルト大統領と会談したい旨の明確な意思表示であった。
永井陽之助、『冷戦の起源』

ちなみに、この時点で毛沢東は外国というものに行ったことはない。毛沢東の生涯 一度 二度の海外旅行はモスクワ参りのみ。なお、周恩来はわれらが筑波山にも来ている (愚記事; 中国の故周恩来元首相が日本留学中、茨城県の筑波山に登ったと、故木村 操元つくば市長が自伝に記していることが分かった)。


白亜館に行きたかった二人


心をつかまれなくて済んだ人