わたしは六一年二月、ミサイル試射場の設置をめぐって争いの続く新島にいったが、島に泊まり込んだ右翼と島の設置賛成派の青年たちが、一様にヘルメットをつけて投石したりするのを、異様な印象でみつめた。ヘルメットは日本でも、まず暴力とおどしのシンボルだったのだ。これらの経験をつんで、学生、労働者のデモ隊がヘルメットをはじめてかぶったのは、一九六七年秋、佐藤首相の南ベトナム訪問に反対する羽田闘争のときである。それは「整然たる統一行動」か「一点突破」かという、六〇年以来の不毛な対立をこえる大衆行動の方式をきりひらき、新左翼の起点となった。翌年から全国にひろがった学園闘争や街頭行動に、ヘルメットはたちまちひろがっていった。
針生一郎、「ヘルメット考」、『文化革命の方へ』 (赤太字下線調 いか@)
実際この社会では、あらゆる行為がいつの間にか現実感を奪われてしまう。学生の暴力行為が「革命ごっこ」としか見えないのは、かならずしもテレビのせいだけではない。彼らの反体制運動が、一九六七年秋以降過激化してとどまるところを知らないのは、彼らにあの手の届かぬものに対する欲求があり、何かを経験したいという渇望が熾烈だからであろう。しかし皮肉にも、行動が熾烈になればなるほど彼らの目的は遠くに飛びすさり、経験への渇望は決して癒されることがない。彼らは真剣に革命を志向し、手応えのある経験を求めたのに、気がついてみると一切は「ごっこ」の世界に括弧でくくられてしまっている。
江藤淳、 「ごっこ」の世界が終ったとき (赤太字下線調 いか@)
僕が口上として、「世界の常識を覆すような漫才をやるために、この道に入りました。僕達が覆せたのは、努力は必ず報われる、という素敵な言葉だけです。」
又吉直樹、『火花』 (赤太字下線調 いか@)
津村喬関連で『戦略とスタイル』を図書館から借りた。見た。今は手元にない。よくわからなかった。拾えたイメージは標題の『戦略とスタイル』のスタイルという鍵語句。スタイルとはあのゲバ学生の格好;ヘルメットに角材ゲバ棒という衣装・意匠のことらしい[google画像]。おいらが生まれたばかり頃の出来事で、よくわからないが、後世から見て「過激派」と呼ばれるあの格好は1967年10月8日の羽田事件で、歴史に、登場したらしい。そして、それは画期的なことだったらしいのだ。その画期さにうれしくなったのが芸術評論家の針生一郎(上の引用文)。
helmet over your hair
背景はベトナム戦争。当時の「日本」は米国のベトナム戦争の前線出撃基地。米国統治下の沖縄からは北爆(北ベトナムの空爆)のためのB52が出撃し、当の東京では横田基地など米軍基地で骨休みしていた米兵が東京の巷の酒場で遊んでいた。今すぐ引用できないが、西部邁の文章で酒場で米兵とすれちがう話があった。西部の友達が酒場で米兵に”How many Vietonamese did you kill?” [google画像] と聞いたことに、無神経だなあという趣旨(だったと記憶している)。
おいらから見ておもしろいのは、当時の新左翼(大学紛争当事者の学生)は、巷の米兵をしばいたりせず、首相=日本政府の対米協力に対し、訪越阻止という象徴的=パフォーマンスとして反対していたのだ。理由は簡単で佐藤栄作はやさしいお父さんの象徴であり、多少反抗の素振りを見せても、おれさまたちはお勉強ができる学生さまであり、結局は許されるという甘えた気持ちを復員兵の子供たち=団塊の世代=当時の新左翼の学生はもっていたからに違いない、とおいらは邪推している。実際やったことは機動隊(同世代のにいちゃん)を角材で殴ることでであった。
もし、ホントに米兵をやっちまったら、すぐさま、米軍政が実施されただろう。もちろん、マッカーサー憲法は、あれは冗談でした!と新米軍政が云うだろう。そして、米兵をやっちまった新左翼(大学紛争当事者の学生)は、すぐ射殺。交戦権を放棄した政府に存続する契機はないのである。ウヨ(三島由紀夫)・サヨ(全共闘・新左翼)ばかりが「ごっこ」なのではなく、ひろひと天皇・日本政府が国「ごっこ」だったのである。そして、今もそうだ。
つまりは、ウヨもサヨも天皇も政府も、米国を自分たちの自由を奪っている掣肘者であることを、実は、わかっていて、それに弓をひくことを禁忌としていたのである。その象徴が、原爆やむを得ない発言である。
さて、その米国。日本で夷を焼いた末に、憲法制定権力として君臨し、無辜を数百万人焼き殺したのに、日本国天皇から叙勲されたかのルメイ様率いる米軍が、次なる「日本」(=「野蛮」な社会を征服しても問題ない)として、越国を標的として、B52による無辜焼き殺しに勤しんでいた。
その一方、米国による越国征服の前線基地の日本でゲバ学生が暴れはじめた年、1967年。太平洋の対岸の米帝本国での俗謡は唄っていた:スコット・マッケンジー "花のサンフランシスコ" (原題はSan Francisco (Be Sure to Wear Some Flowers in Your Hair) );
If you're going to San Francisco
Be sure to wear some flowers in your hair
If you're going to San Francisco
You're gonna meet some gentle people there
words by John Phillips [wiki]
もしサンフランシスコへ行くつもりなら
必ず髪に花をさすんだよ
サンフランシスコへ行ったなら
きっとやさしい人たちに出会えるはずだから [引用元]
(赤太字強調 いか@)
flowers in your hair [google画像]
Be Sure to Wear Some Flowers in Your Hair [google画像]
なお、gentleのantonymsを引くと、筆頭にagitatedと出た。
● まとめ
1967年日本の一部若者(その少なからずが復員兵の子供たちである)がagitated peopleで、戦争で死に損なった元日本浪漫派の文化人にアジられた(agitated)のであった。