いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

民生食堂 ;昭和の成仏のために

2017年04月30日 19時12分15秒 | 東京・横浜

(前略)万葉の歌をつぶやいてはテクテク渋谷まで歩いて、途中の古本屋の棚を眺めたのである。そして腹が空くと外食券食堂に入って、必ず十三円の食事を取った。十三円以下のメニュウーはない。どんぶり一杯の飯と、味噌汁と香のものだけである。当時はまだまだ食料難であったが、外食券食堂で十三円のものを食べている人を見かけたことがない。乞食のような格好をした人でも十三円のミニマム・コースのほかに、何かお菜を取っていた。 渡部昇一、『知的生活の方法』

2017年4月29日、おいらは中野区を北上していた。世田谷区から練馬区、ひいては板橋区を越えて、埼玉県を目指し、徒歩にて北上していたのだ

お昼過ぎ、中央線を越え、高円寺の雑踏を抜けて、静かな住宅街への遷移的地域の道を行くと、見た!

民生食堂。

生まれて初めてみる日本語だ。

何だ!!!??? 民生食堂。

なにより、昭和すぎるその食堂が掲げる属性としての民生食堂。

もちろん、あのミンセーではないことはわかったが、都合のいいことにこの食堂には政治ポスターがあった。確認すると、それは民進党と公明党のポスターであった。アカではなかった。 やはり、民生食堂の民生は誤字ではなかったのだ。 当たり前だ。

料理のサンプルディスプレイがすごい。このサンプルそのものが平成改元以降一度も更新されていないと思われる。

なお、民生食堂と共に謳われいる「鰻蒲焼」は¥3,600。 やはり、昨今の鰻不足を反映している。

昭和の食堂だって、食材購入は、時代の子なのだ。

中に入る。お昼12時15分ころ。 他にお客さんなし、

猫が寝ていた。

とんかつ定食は¥900円。 味噌汁の具はシジミ。

今気づいた。 これは どんぶり一杯の飯と、味噌汁と香のものだけとんかつなのだ。 

キャベツはみずみずしかったが、プラスチックのように硬かった。

そして、とんかつは...

とにかく、昭和でした。

■ 民生食堂

知らなかった。 がきんちょの頃から”書物に傍点を施してはこの世を理解しようと"してきたいたいけなおいらは、米穀通帳だって知っている。 しかし、まだ廃止前の時代にしっかり生きていたが、米穀通帳の現物は見たことがなかった。おいらんちは「闇」だったのだ。

そして、民生食堂。 知らなんだ、そんな言葉。

家に帰って、ググった。

この食堂=天平について、ドンピシャの解説があった。

rikueri 様: 昭和の匂いプンプン!東京都指定民生食堂で至福のひと時!

そもそも「民生食堂」とは何なのか簡単におさらいします。

そのルーツは戦前の「外食券食堂」、昭和16年、米の配給制開始に伴い、

食堂が完全登録制となり、たとえ旅行者であろうが「米穀通帳」を役所に提示し「外食券」を発行して貰わないと外で食事が出来なくなったそう、

その時代の食堂を「外食券食堂」と呼び、それが戦後の急激な復興の中で米の供給量が増えるのしたがい、闇ゴメが出回ったり、

外食券不要で雑炊だけを提供する「雑炊食堂」が増えたそうです。

そんな中、昭和26年外食券制度がついに廃止となり、それまでの「外食券食堂」が、都指定の「民生食堂」へと変わったそうです。

この流れからすれば「民生食堂」が現在の「大衆食堂」の源流と言えますね。

そして、今日気づいた。 当記事冒頭の渡辺昇一のいう「外食券食堂」と関係があるのだ。

今日、50過ぎて、傍点を施した。