とは、おいらには、意外。
「博士号持ちは企業でも役立つか」
という日本語を英訳する場合、
”博士号持ち”は、Ph.D (degree) holder となるに違いない。
(後記; 違うわな。 日本人は、例えば理学博士も文学博士も、自称の英語表記で Dr. を用いる。 日本(例えば、文学)博士で、英訳自称で Ph.Dとはいわないよね。 なお、20年ほど前、日本で「学術博士」というのが流行った。恐らく、Ph.Dの邦訳のつもりなのだろう。
後記②; わかってきた。 今の日本の標準?表記は、博士(理学)、博士(文学)、とかだな )
ここで、Ph.D のPh とは、philosophyのabbreviation [略語]に他ならない。
philosophyの、われらがぬっぽん語訳は、これまたわれらが西周センセイが、造語された、「哲学」である。
なぜ、philosophy=愛知ではないか?は、今となっては、相当、謎である。
(この辺の事情は研究が進んでいるのだろうが、おいらの邪推は、西周はギリシア語を(あんまり)知らなかったのではないか?)
英語圏の博士さまは、「周」(あまね)く、「哲学」博士=Ph.Dである。
このことは、これまで、再三、いろんな人に、指摘されている。
さて、skill = スキル。
世の中の動向は知らないが、おいらは、skill = スキルって、philosophyの対局のイメージを持っていた。
すなわち、philosophyとは、具体的な知識、技術、情報ではなく、「存在」そのものを認識する知的営みという「偏見」をもっていたからだ。
そして、今日。
Ph.D=[?] 博士==ぬっぽん博士は、スキル不足が、難じられているのだ。
大変だな、博士号持ち。
そして、この案件でネット徘徊したら見つけた;
wing chun skill and philosophy
意外とスキル不足な博士 という認識は、華人さま系ということか?