ニクソン訪中;1972年2月21日。 リチャード・ニクソンの漢字は、理查德·尼克松 。
今日でニクソン訪中50年。おいらは記憶はない。ただし、このニクソン訪中の18日前の札幌オリンピックの開会式は覚えている。行ったから。
札幌オリンピック開会式;1972年2月3日 (開催期間は2月13日まで)
そして、札幌オリンピックが終わって6日後に始まったのがあさま山荘事件。これも記憶がない。テレビの視聴率が高かったと伝えられる。おいらの家でテレビであさま山荘事件の中継を見ていた記憶はない。
あさま山荘事件;1972年2月19日から2月28日
なお、あさま山荘事件が始まって2日後にニクソン訪中。あさま山荘事件の犯人たちは「連合赤軍」と自称し、京浜安保共闘なる組織[1]と赤軍派なる組織の「連合」なのだそうだ。そして、京浜安保共闘なる組織は毛沢東主義を掲げる共産主義者組織であった。
[1] 日本共産党(革命左派)神奈川県常任委員会 。 連合赤軍や日本労働党の母体の一つとして知られる。「毛沢東思想で武装した革命党建設」を目標とし、「反米愛国」を掲げ、当初は労働運動を、後に武装闘争を中心とした活動を行った。 (wikipedia)
すなわち、反米を掲げる毛沢東主義者は、ニクソン訪中という現実に直面するのだ。なお、ニクソン訪中は1971年7月15日に公表された。これが(ひとつの)ニクソンショック。
■ 米中関係50年
50年を経て、ようやく米中関係は見直しとなった。米国がやっと気づいたのだ。でも、もう遅いだろう。中国が米国を追い越すとは予想できないにしても、大国化した中国を抑え込むのも難しいだろう。中国が大国化できたのは日米など「帝国主義」諸国と組んで、経済発展を実現させたことだ。これまで順調に経済成長できたのは、中国が米国に警戒されず、敵視されずに、大国化の意図をあからさまにせず国力を高めていったからだ。韜光養晦作戦。 中共はソ連と組んでは豊かになれないとわかっていたのだ。
この米国と組んでの富国強兵戦略を実現させたのが毛沢東だ。この策は中国共産党の原理に照らしてみればありえないことだ。もし、中共原理主義を奉ずる一派が中共内にいて、力をもっていれば、米中接触などありえない。しかしながら、現実は、強大な権力を持つ独裁者の毛沢東が決断したので、米中国交が実現した。毛沢東は1976年に死ぬが、もし毛沢東の存命中に米国との関係を始めなければ、誰もそれをできなかったに違いない。なぜなら、米国は、中共がいうこの世の最高の悪である帝国主義者であり、その悪魔と手を結ぶなどということは、中共の第一原理に反するからだ。
なお、1972年は文化大革命が継続中である。このあと、この毛沢東の対米関係開始を契機として、林彪が死ぬ。謀反を起こしたが失敗したとされる。
林彪、日本の連合赤軍にとって米中和解が驚天動地の出来事であったことは、ともかく。日本政府の佐藤内閣にも激震。なぜなら、米国に「追従」して、台湾の国民党政府を支持していたからだ。この頃、そのうちなくなる南ベトナムの政権をも、米国に「追従」して、支持していた。全く、はしごをはずされたのだ。
■ ソ連と日本を敵視して手を結んだ米中; これが効いたのは1990年以降の日本の産業空洞化
もし、毛・ニクソン会談、ひいては米中関係改善がなかったら、その後の歴史でありえなかったことは;
1.ソ連の解体
2.日本の停滞
米中が仲良くなれたのは、ソ連を共通の敵としたことだ。さらにこの当時からすでに貿易摩擦で悩む米国は日本に警戒していた。
日本は冷戦終結まで、その後20年は経済発展できた。しかし、冷戦終結で、ソ連の脅威がなくなったとき、米国民は一番脅威な国として挙げたのが日本だった。それを受けて、対日構造改革要求が功を奏して日本は停滞し、現在に至っている。
日本の停滞の原因は、中国のグローバル経済への参入で、日本の資本の投資が中国に行われ、日本に行われず、家電などが典型だが、工場の更新が日本でなされず、中国に移転し、日本の産業空洞化が進行した。1990年以降だ。
■ 米国の天秤戦略、あるいは、分割・統治
米国は御都合主義である。現在、ウイグル問題で中国に制裁を加えている。たしかに、中共は人権弾圧を行っている。したがって、人権弾圧をする中共に制裁を加えるのは正当であると見える。ただし、中共は成立以来チベットなど周辺民族の人権弾圧を行ってきている。昨日・今日の話ではない。例えば、2008年の北京夏季五輪は米国ブッシュ大統領は参加した。米中経済関係も興隆を極めた。ただ、人権弾圧をする中共に制裁を加えることをしなかった。理由は、米国の利益に違いない。
米国の利益になっている間は、周辺民族の人権弾圧には目つぶるが、現在のような米国経済に脅威を与えるようになると、周辺民族の人権弾圧を理由に対中制裁を加えるようになった。
米中関係が安定しているのは軍事的力があるからである。この米軍の対中軍事力は在日米軍が担っている。つまり、軍事力を背景に米中関係を安定させ(中国の対外武力行使を封止し)、経済的利益を得ている。
そして、この在日米軍の存在意義は日本を軍事的に抑え込み封印し、中国への脅威を滅するのだと合意したのが、1972年の米中会談である。
■ 毛沢東の書斎
ニクソン訪中の時、中南海にある毛沢東の書斎で、会見が行われた。
この中南海の毛の書斎での会談の特徴は、参加者を絞ること。この会見では、米国側の通訳が参加しなかったとのこと(ソース)。上の画像では、ニクソンとキッシンジャーのふたりだけが確認できる。
日本の田中角栄の事例も同様。おいらの記憶だが、佐々淳行の本にこの中南海の毛沢東・田中角栄会見に日本の警備要員(事実上のお目付け役)が排除されたとのこと。なお、この会見に出席したのは、大平正芳と二階堂進。