いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

岡山駅 『躍進』

2008年10月28日 21時46分47秒 | 国内出張・旅行

2010年5月28日に追記、最下部に筑波山麓岡本太郎作品



岡山に出張しました。めしを食おうと駅ビルをうろうろしていたら、

なんだ! こりゃ!

という壁画にぶちあたりました。

岡本太郎だそうです。

 岡本太郎の陶壁画「躍進」 なぜJR岡山駅東口に!? /岡山 現在リンク切れ。 当時のコピペは下記;

 
◇なぜここに!?
 ◇「玄関口飾る芸術作品を」 地元民放、新幹線開通に合わせ設置

 意外と知られていないが、JR岡山駅には偉大な芸術作品がある。駅東口「つどいの広場」に設置されている岡本太郎(1911~96)の陶壁画「躍進」(縦約4メートル、横約8メートル)がそれだ。初めて岡山駅に降りた時から、圧倒的な存在感に魅了されている。それにしても、なぜ太郎の作品が岡山駅にあるのだろう。【石戸諭】

 ■実は広告□

 JR西日本岡山支社に取材を申し込むと、「うちに資料はありません。山陽放送(RSK)さんに聞いてみては」との返事。そこで作品わきにも社名があるRSK(岡山市)を訪ねると、丁寧に保管された古い社内資料を見せてくれた。そこには「広告掲出」という言葉がある。ん? 広告? 聞けば、「実は作品は『広告』扱いなのです」と衝撃的な答え。てっきり太郎が寄贈したとばかり思っていたが、一体どういうことなのか。

 時代は1972年にさかのぼる。当時、「ひかりは西へ」のキャッチフレーズとともに、岡山に新幹線が開通した。社内資料によると、当時のRSK幹部が新幹線開通に合わせて「岡山の玄関口にふさわしい芸術作品を設置し、地域貢献を」と考え、旧国鉄と交渉に臨んだ。その結果、新幹線玄関口のスペースに企業広告として▽しかし、会社のPRはできる限り小さく--などの条件で設置が決まったという。作家の選定にも、担当者が書いた手書きのメモが残っている。そこには「100年、500年先にも名声が続く、歴史に残る作家」という条件で、複数の作家が候補として挙げられていた。その中から、大阪万博「太陽の塔」で名を知られ、当時のイベント「岡山交通博」を監修していた太郎に白羽の矢が立った。

 ■作品完成□

 赤磐市に住む陶芸家、おかだきよしろさん(67)は、完成までの経緯を詳しく知る一人。陶壁画は作家がデザインし、陶器部分を外注することが多い。当時、おかださんはその外注先の信楽焼メーカーに勤め、メーカー側の制作責任者に指名された。東京・南青山にあった太郎の自宅兼アトリエに通い、原図を基に5分の1サイズの模型を作った。「他人の作品を忠実に作るのは難しい。ましてや岡本太郎。緊張しました」と振り返る。

 「躍進」は600個以上の信楽焼のピースを組み合わせている。おかださんらは模型を基に、各ピースのサイズを合わせて焼き上げる。乾燥、素焼き、本焼きと段階ごとに大きさを確認。「色にこだわりを持っていて厳しかった」という太郎の意図通りの色に仕上げた。太郎は、ある時は上半身裸で、時にウイスキー片手に制作現場でおかださんらに指示を出した。「ちゃめっ気があって気さく。本当に楽しい作業だった」とおかださん。72年3月14日、「躍進」は岡山駅に設置された。

 ■太郎の信念□

 「躍進」には、積極的に公共スペースに作品を提供した太郎の信念があふれている。太郎にとって芸術は「大衆のもの」であり、「すべての人が創造していくもの」だった。ただし、それは民衆にとって心地よい作品を置くという意味ではない。長年、共に歩んだ太郎のパートナー、故岡本敏子さんは著書の中で「(太郎は)『自分が民衆にならなければならない』とは思っていなかった」と書いている。「私たち○○○」という言葉に象徴される集団主義から距離を置き、太郎は徹底的に「個」を貫いた。太郎は作品を通じて、「芸術は創ること、生きることそのもの」という自身の信念を万人にぶつけたのだ。「躍進」も「太陽の塔」もすべて同じ発想だったのではないか。

 ■後日談□

 設置から35年以上が経過した「躍進」は一時、岡山駅改修にあわせて、移転話も持ち上がったが「文化財として残していく」ことでJR、RSK両社が合意、今も岡山の玄関口で異彩を放ち続けている。おかださんはその後「独自の作品を作りたい」と会社を辞め、故郷・岡山に戻り制作を続けている。

 「今でも岡山駅を通るたびに恥ずかしくて。実は色を間違えたピースがあって」とおかださんがこっそり教えてくれた。太郎は気付いていたのだろうか。「太郎さんも含めて今まで気がついた人はいないですよ。だってペンキで……」。えっ、そんなことが。作品をじっくり見れば分かるかも?

毎日新聞 2008年9月3日 地方版


▼2010年5月28日に追記、最下部に筑波山麓岡本太郎作品

【山麓記念日】 N度目は何劇として?...四半世紀前の今日筑波万博開幕 ; 筑波万博の時の岡本太郎作品が今でも筑波山麓に残存しており、じかに触れます。







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