先週は京都に行った。府立植物園から船岡山まで散歩した。旅行計画の時点では、植物園と船岡山に行こうとした。そうすると、車谷長吉の『赤目四十八瀧心中未遂』に今宮通り、小山花ノ木町が出てくるので、見物することにした。
1.府立植物園、2.賀茂川・北山大橋、3.今宮通り;4.今宮神社;5.船岡山
上の図の京都全体の中での位置は下図(左)と 京都 土地分類基本調査
今宮神社へ向かう途中から台地となる。
■1. 府立植物園
入園料200円、温室は別途200円。
a: 北山門
b: 椿園
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▼ d: 観覧温室
平成21年11月19日、天皇皇后両陛下(現在、上皇上皇号)の行幸啓を賜り、植物園にとって歴史上もっとも輝かしい一日となった。
観覧温室内熱帯植物の多くをご案内する光栄に浴したが、温室内の特別展示室にて、植物園の所在場所をご説明申し上げた。「西に金閣寺、北に上賀茂神社、東に銀閣寺、南に下鴨神社。植物園は世界遺産の四つの社寺仏閣に囲まれたほぼ中心にあります。東方向には比叡山がそびえ、園内から見るその姿はNo.1ビューポイントです」。
私にとっても生涯忘れ得ぬ、大感激の約一時間だった。 (京都府立植物園 97年の歴史① )
▼ e; くすのき並木
▼ f. 植物園会館
園内の植物園会館という建物に入ると植物園の歴史が示したあった。そして、敗戦後は占領軍に接収され、占領軍住宅が建設されたと知る。
1924年、公開公立植物園として日本で最初に開設された。第二次世界大戦後の進駐軍接収に伴い、米軍住宅地として樹木伐採などが行われたが、再度植樹等をして蘇り、現在は公立植物園として維持されている。(日本造園学会 京都府立植物園)
GHQ京都司令部は翌21年7月に、難題を持ち出す。「将校家族住宅DHを数十戸建設するため、京都御所外苑を接収する」。これには京都府市民のみならず、府庁も宮内省も仰天してしまった。東京のGHQ本部にも陳情し、なんとか京都御苑を回避することができた。
このころになるとアメリカ本土から軍将校のたくさんの家族たちが、日本に駐在している夫や父と同居するために押し寄せてきた。日本軍では占領地で家族と暮らす軍人はまずいないであろう。しかしアメリカでは一般の兵卒は別にして、少尉以上の将校は家族とともに暮らすのが当然であり常識であった。子どもたちには幼稚園から小学校まで、アメリカンスクールが住居地内に併設さる。当然、グラウンドもテニスコートもプールも付いている。
御苑をあきらめた司令部は代替地を要求した。府は淀競馬場を提案したが「水害の心配がある」と断られてしまう。そして米軍が下した結論は、京都植物園である。同園の広大な敷地すべてがDH将校家族用住宅(デペンデントハウス)数十戸建設のために、接収されてしまった。御所御苑の身代わりに、京都が誇る日本最大最高の公立植物園が取り上げられてしまったのである。 (ふろむ京都山麓 様 GHQ占領下の京都 第2回 「日本占領」)
開園当初(1926年/昭和元年)の大典記念京都植物園の模型
樹木が切り倒された部分が航空写真から確認できる ↓
航空写真;敗戦後・占領下(左)と現在
▼ f-g. 洋風庭園 ー ばら園
▼ h. 沈床花壇
▼ ⇒ 沈床花壇から外周道をたどり、再び椿園を通り、i の賀茂川門へ
植物園を賀茂川口から出る。 北山通り ↓
賀茂川
■ 2.北山大橋
京都では、私はいつも鴨川の橋の上から薄墨色の北山の色を眺める。そうするとすさんだ気持が慰められるのだ。それは京都で働いていた時からの心のゆくたてだった。が、その日は生憎雨に降りこめられていて、北山は見えなかった。(車谷長吉、『赤目四十八瀧心中未遂』)
■ 3.今宮通り、あるいは、小山花ノ木町の小児科
私はアマへ来てからはじめて、阪急電鉄に乗って京都へ行った。六月半ばの雨の降る日だった。れいの小山花ノ木町の知人の家を訪ねるためだった。この原田巳記という人は、私が京都で料理屋の下働きをしていた時分に知り合うた四十過ぎの男であるが、小児科を開業するかたわら、フッサールやメルロ=ポンティの哲学を勉強し、時たま新聞雑誌に夢のもつれのような文明批評を書いたりしていた。住所不定の私には健康保険証がないので、通常の病院へは行けない。行けば、あれこれと面倒なことを言われるのである。だから、私は横着を起こして、この人にただで、一応は傷口を診てもらっておこうと考えたのである。 (車谷長吉、『赤目四十八瀧心中未遂』)
車谷の小説とは関係ないと思うが、小児科があった。でも、閉院していた。
* 小山初音町
* 堀川通り
* 登り坂
■ 4. 今宮神社
* 今宮神社を出る。 南下。
振り返り、今宮神社をみる。
* 北大路通りを渡る
■ 5. 船岡山
船岡山は硬い岩石でできているので、侵食を免れている。岩石はチャート(堆積岩の一種。主成分は二酸化ケイ素(SiO2、石英)で、この成分を持つ放散虫・海綿動物などの動物の殻や骨片(微化石)が海底に堆積してできた岩石 [wiki])。この岩石を含む地層は丹波層群の一部。丹波層群の堆積年代は、古生代二畳紀~中生代ジュラ紀 (2億5,000万年~2億年前)(引用元)。海洋プレートのチャート(古生代に堆積)と大陸起源の泥岩や砂岩から構成されている、とのこと。
丹波層群は、古生代の石炭紀(約3億6千万年前から約3億年前)から中生代のジュラ紀(約2億年前から約1億5千万年前)にかけてアジア大陸東側の海底で形成された後隆起した地層群であり、大陸から流出した泥や砂からできた泥岩や砂岩、大陸から離れた深海底で生成されたチャート、サンゴやフズリナなどが堆積してできた石灰岩からなる地層が混在している。 (建勲神社)
船岡山を下りる。
船岡温泉(ふなおかおんせん)は、京都市北区紫野南舟岡町にある公衆浴場(風呂屋)。船岡山南麓、鞍馬口通の南側に位置する。脱衣場(下駄箱やフロント、休憩所などを含む建物)や浴場(脱衣場の奥に繋がる浴室の建物)などが国の登録有形文化財に登録されている。
なお、「○○温泉」は上方における伝統的な風呂屋の屋号に多く見られるものであり、天然温泉を意味するものではない。 (wiki)
船岡山の南側におりる。船岡山を東側から回り込んで、北大路通りに戻る。
織田信長を祀る建勲神社 (web site)
北大路通り
バスに乗って、市街に帰る。
■ まとめ
通過町
下京区
下鴨半木町、
北区
小山東元町、 小山上内河原町、小山上花ノ木町、 小山上板倉町、 小山上初音町、 紫竹下梅ノ木町、 紫竹東高縄町、 紫竹高縄町、 紫竹西高縄町、 紫竹西南町、 紫野上野町、 紫野今宮町、 紫野大徳寺町、 紫野西野町、 紫野北舟岡町、 南舟岡町、 紫野西藤ノ森町、 紫野下築山町、 紫野上築山町