▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第37週
■ 今週のよその猫
■ 今週の筑豊境
■ 今週のメタセコイア
■ 今週の実
■ 今週の道産品含有品
北海道練乳ホワイト4個入り(フランソワ)。練乳クリームが甘い。
■ 今週の道産品2、かつ、半額
朝いか沖漬 北海道函館産イカ沖漬 (google) (楽天市場)(Amazon)。ようは塩辛なのだ。しょっぱい。醤油が甘い九州の人の口に合うのだろうか?
■ 今週出て来た旅の思い出
本ブログを始める前だと思う。2003年頃か?入場番号が179348とある。2008年のある人のweb site で見える入場番号は578380。年間約10万人の来訪者がこの頃(2003-2008年)にあったらしい。 泉涌寺公式 web site。
■ 今週のモフ⇒モフ(MOF)
国民民主党は、女性との不倫関係を報じられた玉木代表を役職停止3か月とすることを決めました。
そして、期間中は、古川代表代行が、代表の職務を担うことになりました。(google)
ふたりともMOF (Ministry of Finance)。
■ 今週の来週公開物件のお知らせ:荻窪の「荻外荘」が復原、一般公開へ
愚記事より
今年3月、まだ公開前の工事中であることを知りながら、関東を去るので、「荻外荘」を見に行った。来週、公開されるのだ。 Google(荻外荘一般公開)
Time Out Tokyo Editors(写真 Genya Aoki様)
この部屋だ↓。上下の写真をよく見ると、屏風の絵柄が似てる。よく照合すると違う気もする。
愚記事より
■ 今週の訃報、あるいは、昭和の成仏のために
中山美穂って昭和なんだよね。 この頃からおフランスだったらしい。 でも、英語。
再生できないらしい。直接どうぞ:https://www.youtube.com/watch?v=qqRFicWlRLE
■ 今週の謎;なぜ、<奴ら>はおいらの立ち回り先に居るのか?
おいらはガキンチョの頃、キチ〇イの症例集を読むのが好きだった。その中でしばしばあるのが、「CIAに追われている!」という患者さんの証言だ。
今週のおいらだが、米陸軍第187空挺グライダー歩兵連隊(187th Infantry Regiment (United States))に追われているのだ。
まずは、<奴ら>米陸軍第187空挺グライダー歩兵連隊がおいらが生まれた札幌にきた。おいらが生まれる約20年前だ。その時の写真だ。昭和21年早春、札幌は北一条通りを示唆的行軍(パレード)をしたのだ。この時、おいらのとうちゃん8歳。沿道に写るがきんちょたちの中にいることは否定できない。下記画像の「札幌神社」は現在の北海道神宮のことでこの時まだ神宮ではなかったのだ。さらに、<奴ら>の旗はstars and stripesというらしいが、stripesしか写っていない。<奴ら>米陸軍第187空挺グライダー歩兵連隊はこの「ベレー帽」が好きらしい。
愚記事より
<奴ら>が札幌に来る前に、<奴ら>は、おいらが大学時代を過ごした仙台にいた。おいらが仙台にたどり着く約40年前だ。やはり、ベレー帽をかぶっている。
愚記事より
そもそも<奴ら>は最初に「厚木」に来た。ベレー帽はかぶっていない。何より、敵陣への第一陣なのだから完全武装である。ミズーリ号での調印式の数日前だ。もっとも<奴ら>の記録では日本軍が整然と降伏したことに驚いている。子猿を抱いて平然と着陸できたのだ。今から思えば、お得意のベレー帽で十分だったのだ。
愚記事:マッカーサーと一緒に「厚木」に来たこの子猿はどこへ行った?
この子猿を抱いた兵士は第11空挺師団の所属であるが、第11空挺師団の配下である第187空挺グライダー歩兵連隊の所属かは、断定できない。ただし、記録では「厚木」に第一に降り立ったのは第187、188空挺グライダー歩兵連隊である。
第 11 空挺師団は、1943 年 2 月 25 日にノースカロライナ州キャンプ マッコールでジョセフ M. スウィング少将の指揮の下、正式に活動を開始しました。最初の戦闘編成には、第 511 空挺歩兵連隊、第 187 および第 188 グライダー歩兵連隊、第 457 空挺野戦砲兵大隊、第 674 および第 675 グライダー野戦砲兵大隊が含まれていました (ソース)
「厚木」から横浜に進駐した。
横浜での第11空挺師団の配下、第187空挺グライダー歩兵連隊(ソース)
さて、<奴ら>米陸軍第187空挺グライダー歩兵連隊の行方であるが、上記愚記事で追った。「厚木」➡横浜➡仙台➡札幌だと知っていた。
記号の横の文字は、187GLI、CAMP SEIENBERG。187GLIは、第187空挺グライダー歩兵連隊。CAMP SEIENBERGは札幌の月寒(ツキサップ)基地(愚基地:Camp Seidenberg Sapporo Japan, キャンプ シーデンバーグ 月寒 札幌)。上記、1946年の札幌進駐の時、キャンプ・クロフォードはなかった。月寒(ツキサップ)に駐屯した。日本陸軍の月寒陸軍官舎を彼らはキャンプ・シーデンバーグと名付けた。キャンプ・クロフォードをつくったのは第11空挺団のスイング少将だ。
札幌キャンプ・クロフォードでの第187空挺グライダー歩兵連隊 (同ソース)
札幌キャンプ・クロフォード、鳥瞰写真 (愚記事)
最後は札幌から米本国に帰国した。それで、<奴ら>は日本から去ったとおいらは考えていた。<奴ら>の歴史に書いてある;
第 11 空挺師団はその後、戦後の日本占領軍の先鋒として沖縄に再配置され、1949 年 5 月まで日本に留まり、その後ケンタッキー州フォート キャンベルに移転しました。(ソース)
その前提で、最近、おいらが驚いたことは記事にした:子猿をめぐる冒険 :米陸軍第11空挺師団の再興2022と再来;They shall return, again since 1947。つまり、<奴ら>は、2022年に再興し、再来日したのだ。
しかしながら、誤解があった。1948年に米本国(ケンタッキー州フォート キャンベル [下記])に帰国した<奴ら>米陸軍第187空挺グライダー歩兵連隊は、朝鮮戦争勃発で、再来日していたのだ。(おいらが生まれた)札幌から米本国に帰った<奴ら>は、(おいらが今住んでいる市のとなり町である)福岡県芦屋町の航空基地に帰ってきたのだ。
1950 年、第 187 グライダー歩兵連隊と第 674 空挺野戦砲兵大隊は第 187 連隊戦闘団に編成替えされました。同団は 2 年間にわたり朝鮮戦争で戦い、2 回のパラシュート降下攻撃を実施しました。(ソース)
1950年に朝鮮戦争が勃発し、米本国から日本に再来したのだ。
(From Fort Campbell) Fourteen trains were used in the move. Train number one, carrying the advance party, departed at 0001 hours, 1 September 1950, destination, Fort Lawton, Washington. Transferring to airlift, the party flew to Ashyia Air Force Base, Kyushu, Japan, via Anchorage, Shemya and
Tokyo. (ソース) ↓ 訳
(ケンタッキー州のフォルト・キャンベルから)移動には14両の列車が使用された。 先遣隊を運ぶ1番列車は、1950年9月1日午前0時01分に(フォルト・キャンベル)を出発、目的地はワシントン州フォート・ロートン。航空機に乗り換えて一行は、アンカレッジ、シェミア(アリューシャン列島の島)、東京を経由して、九州の芦屋空軍基地へ飛んだ。
何だ!先日おいらが散歩した芦屋に来ていたのだ(福岡県散歩:遠賀郡芦屋町、JR遠賀駅⇒ 航空自衛隊芦屋基地 /Ashiya Air Base、米軍ハウス、イカ丼、遠賀川河口)。
なぜ<奴ら>はおいらの立ち回り先に居るのか?
朝鮮戦争の時の米陸軍第187空挺グライダー歩兵連隊 (同上ソース)
いや、まて。「厚木」、横浜、仙台、札幌、芦屋にいたのは、70年も前のことだ。そうなのだ。おいらが、<奴ら>米陸軍第187空挺グライダー歩兵連隊を追っているのだ。
ストーカーよばわりされないように、気をつけよう。
■ 今週の購書(九州に来て2冊目)
現代思想2001年7月臨時増刊号 総特集=戦後東アジアとアメリカの存在 -〈ポストコロニアル〉状況を東アジアで考える- (青土社)
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