いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

福岡県散歩:遠賀郡芦屋町、JR遠賀駅⇒ 航空自衛隊芦屋基地 /Ashiya Air Base、米軍ハウス、イカ丼、遠賀川河口

2024年12月05日 05時41分05秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

福岡県遠賀(おんが)郡遠賀町と芦屋町を散歩した。芦屋町には現在航空自衛隊の芦屋航空基地がある。この芦屋基地は元は旧軍(陸軍)の航空基地。終戦後から米軍に接収され朝鮮戦争時は日本で最大級の米軍出撃基地だった。主に輸送基地。のべ300万人の米兵を朝鮮戦争の舞台の半島に送り、迎えたとある。日本人従業員が1万人を越えた時期もある。

さて、朝鮮戦争の出撃基地、すなわち朝鮮への出撃基地という観点から見ると、先日行った名護屋と同じ目的で栄えた街といえる。ところで、朝鮮戦争で、芦屋と並んで、重要な米軍基地を下の地図で記す。雁ノ巣、板付(関連愚記事)、築城。いづれも米空軍基地。もちろん、米海軍の佐世保もある。

JR遠賀川駅から海の方へ向かう散歩。


1.JR遠賀川駅、2.若松付近、3.堂塔寺、4.浜口町:米軍ハウス、5.航空自衛隊蘆屋基地、6.味処 大丸7.西浜町・河口付近、8.芦屋海浜公園

■ 1.JR遠賀川駅

■ ⇒ 2.若松付近

■ 2.若松付近

■ ⇒ 3.堂塔寺

きれいな工場↓、そうでない工場↑

■ 3.堂塔寺

永禄(西暦1558-1570)年間、この地は薬師山(現堂塔山)とも呼ばれ、おそらくは薬師如来を本尊として、一堂をなす寺であったが、その昔、大友宗麟の兵火により廃絶されしも、弘法大師のお告げを受け、住職、川端亮貞尼により、昭和三十八年八月、中興され、現在に至っております。九州二十四地蔵尊霊場巡り web site

■ ⇒ 4.浜口町:米軍ハウス


遠賀川(wikipedia)

■ 4.浜口町:米軍ハウス

見つけた。実はこの散歩そんなに占領軍(進駐軍)/米軍の遺構を期待していなかった。もっというと、期待していないということも意識していなかった。ただ、航空自衛隊芦屋基地は元米軍基地ということのみ。散歩から帰ってしたべると、そもそも米空軍芦屋基地は軍需貨物の航空基地としては日本最大と知る。意識しないで、航空自衛隊芦屋基地に向かうと、見つけた。これは、米軍ハウスの残棟ではないか!。米軍ハウスには以前から興味がある(関連愚記事)。

▼ 上航空写真の「2」

1棟見つけたので、周辺を歩くと、ザクザクみつかった。

▼ 上航空写真の「2」

きれいに改装して洒落た店となっている。典型的な米軍ハウスの再利用方法だ。その場でスマホでググルと、果たして、【芦屋町浜口町】米軍住宅リノベーションのカフェで、ビーフロコモコ!とあった(食べログ)。

▼ 上航空写真の「3」

 

航空写真で見ると、赤矢印の幅をもった境界が基地の外壁。左が基地内。基地内にも住宅らしき建物が見える。おそらく、基地内だけでは住宅が足りずに、基地外にも米軍ハウスを建てたのだろう。

■ ⇒ 5.航空自衛隊蘆屋基地

▼ 米軍基地としての芦屋飛行場:Ashiya Air Base の日本語の情報は少ない。写真も少ない。

「九州ジプシー」という日本語をググると、出てこない。むしろ出てくるのは、ジプシー・ローズ。この有名なストリッパーは福岡県大牟田の出身。だから九州ジプシーでヒットしたのだろう。

九州ジプシーとは朝鮮戦争勃発で米空軍が急遽編成した航空輸送部隊。

1950 年に朝鮮戦争が勃発すると、米国極東空軍は陸軍を支援するために航空貨物資産の編成を急いだ。これらの資産の中でも特に重要だったのが、戦場から負傷兵を避難させるための航空機だった。これらの航空機は、整備されていない荒れた韓国の飛行場から離陸し、乗客を日本海を越えて日本最南端の島、九州まで運んだ。米軍はここで高度な医療施設を維持していた。
 
アメリカ製のダグラス C-47 ダコタ (別名「グーニーバード」) は、その数の多さから、この空輸活動の主力機となった。日本各地から C-47 が集められ、臨時飛行隊「九州ジプシー」が編成された。この名前は、飛行隊の当初の作戦基地が日本列島最南端にあったことを反映している。(ソース)
九州から朝鮮半島を任務のため転戦したらしい。転戦したひとつの根拠地が芦屋基地。

▼ 米軍時代の芦屋基地について、ひとつだけ日本人によるYouTubeがあった;


芦屋基地で撮影された米軍のC-119(1955年)(リンク)

第314輸送隊の歴史:パイロットで第314輸送機群司令官のリチャード・W・ヘンダーソン大佐は、このC-119「ルオード​​ラ」が日本の芦屋基地から朝鮮半島に向けて離陸の準備をしているときに、操縦席から副操縦士のジャック・B・ロビンス中尉と航空技術者のオーティス・D・グラハム軍曹に合図を送っている。ソース

▼ 芦屋基地で勤務していた米兵の証言

サービスまたは関係: 空軍退役軍人

コメント: 私たちは、ニューヨーク出身のドナルド・ニグローニ空軍兵という友人を失ったとき、大切な楽しい思い出と悲しい思い出を共有しました。
私たちの飛行隊は家族のように仲が良く、団結していました。私たちはチームであり、九州ジプシーと呼ばれることを誇りに思っていました。
私たちの主な目的は、陸軍を降ろし、航空機で避難させ、負傷した兵士や死亡した兵士を日本に連れ戻すことでした。

キーワード: 1952年から1955年まで、芦屋でC-47、後にC-119ボックスカーの整備に従事
。その期間中、クルーチーフとしてK-18とK-16に飛行。
仲間の名前は、芦屋の整備施設でフットボールをしていたジョン・ジョンソン、
幼少期にジョージアで育ったオハイオ州出身のヒルダーブランとヘイズ、整備に携わっていたサム・モスなど。 (引用元

■ ⇒ 味処 大丸

■ 6.味処 大丸

アオリイカでした。(歯ごたえのある食感ではなく)まったり系の肉感。

■ ⇒ 7.西浜町・河口付近

岡湊神社

「岡湊」は「おかのみなと」と読み、「日本書紀」には「崗之水門」として登場する芦屋の大変古い呼称です。実に1800年の歴史を誇り、「古事記」にもその記載があります。御祭神は「日本書紀」に記されている「大倉主命」と「菟夫羅媛命」のほかに、相殿として「天照皇大御神」「神武天皇」「素盞雄命」とが祭られています。(芦屋町観光協会 web site)

■ 遠賀川河口付近

↑河口を向く  ↓上流を向く

■ ⇒ 8.芦屋海浜公園

町の北側、響灘に隣接した広い芝生広場と眺めの良さが自慢の総合公園です。芝生広場「わんぱーく」には大きなコンビネーション遊具やベンチ、テーブルも設置しています。また、海とも隣接しているため浜辺でも遊ぶことができ、夏は多くの人で賑わいます。芦屋町 web site

■ ⇒ 芦屋町役場へ

白浜町。基地傍の街。米軍ハウス? 1960年代の航空写真お見るとこの家屋はその頃にはある。


芦屋町役場。

ここからバスに乗り、JR折尾駅へ向かった。

■ まとめ 通過街

福岡県遠賀郡
遠賀町
遠賀川、松の本、鬼津、若松

芦屋町
芦屋、浜口町、正門町、高浜町、船頭町、西浜町、白浜町、幸町



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