いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

有栖川宮公園

2005年11月06日 20時09分38秒 | 東京・横浜
11/3、 明治神宮から有栖川宮公園へ歩く。



 

有栖川宮 熾仁(たるひと)親王像。明治維新の時、東征軍大総督。つまり徳川討伐軍の最高司令官に薩長から担がれた。孝明帝の妹・和宮と婚約していたが、和宮の徳川家への降嫁のため、婚約が破棄されたことは有名。

有栖川宮家は「蛤御紋の変」の前に京都守護職の会津・松平容保と対立、長州が天皇を強奪しようとした「蛤御紋の変」では長州と内通していたらしい。

孝明帝は怒り、有栖川宮家は謹慎していたが、孝明帝が崩御、むつひとさんの時代になり、風向きが180度変わり、薩長の絶好の担がれ手となる。




公園前のお店。





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