週末に東京都文京区本駒込にある東洋文庫ミュージアムの『大清帝国展』を見に行き、その足で小石川植物園に行った。なお、東洋文庫ミュージアムは六義園の向かいにある。六義園は、他の都立公園と同様、緊急事態宣言の間は閉鎖している。
1;文京区千石東洋文庫ミュージアム、2;千石1丁目交差点、3;簸川(ひかわ)神社、4;小石川植物園 正門
■ 1.文京区千石東洋文庫ミュージアム
『大清帝国展』の一展示「朝褂 [google](皇后の朝服)」
纏足用の靴
「大清帝国展 完全版」
【会期】2021年1月27日(水) 〜2021年5月16日(日)
1616年、中国の東北地方で生まれた女真人による王朝は、後に中国本土とモンゴルを治める王朝「清」となり、 その後も大きく版図を広げて、様々な民族を内包する史上まれにみる大帝国となりました。しかし18世紀半ば、 ヨーロッパで産業革命が起こると風向きが変わってきます。2020年冬、清の起源から1842年のアヘン戦争終結までを展望する「大清帝国展」を開催しました。 本展では、その後怒涛の勢いで国際社会の中で翻弄される「清」はどうなったのか、前回の展示とあわせて、はじめから終わりまでご紹介します。 東洋文庫珠玉の資料を通して、清を大きく動かしていった民衆、官僚、宮廷、外国人など、様々な人の視点を追っていきましょう。 (web site)
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大清帝国の版図は現在の中共支配地域よりやや広い。その「やや」のひとつが台湾だ(他にモンゴルなどがある)。台湾は1683年に康熙帝により征服される。チベットも康熙帝により1721年に征服されている。さて、中共でチベットを征服したのが毛沢東。しかし、毛沢東は台湾を征服できなかった。なので、台湾を征服する者こそ大中華帝国の再興者となれるのだ。いよいよだ。(昨日の記事)
■ 2.千石1丁目交差点
東洋文庫ミュージアムを出て、西へ。
■ 千石 ⇒ 小石川簸川(ひかわ)神社
本ブログ記事最上部の地図の地形図において、地点2(〇2)の下(南)の窪地(北東から南西に流れている)が認められる。上図はこの窪地。信号の向こうが高くなってりるのがわかる。
台地の端。 下り坂。
段丘崖を降りる。 降りたあと、下から簸川(ひかわ)神社をみる ▼。
階段を登って、簸川(ひかわ)神社本殿正面。
当社は、第五代孝昭天皇御宇三年(473年)と伝えられる古社で、八幡太郎義家公奥州下向の折参籠ありし社である。氷川神社を社号に永年使用してきたが、大正時代に学者らに研究を依頼し、簸川の字が適号との結論を得て、現号に改めた。(東京都神社庁 web site)
本郷台の台地を降りて、平地を南東に向かう。左の塀は小石川植物園の塀。
■ 小石川植物園
小石川植物園は2018年春、秋に来ている。でもこの柴田記念館は入れなかった。今回初めて入った。
温室も新規にできて初めて。2018年は工事中であった。
この地が戦災にあったと知る。
▼ 椿林
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▼ カリン林
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▼ 段丘崖
日本庭園を望む東屋からの眺望
▼ 梅林
● まとめ
通過街
東京都文京区 本駒込 千石 白山