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- - 続;故宮のインド婦人 (2005年10月)- -
拙記事;白亜館でもインド人
■でも、やっぱりわからない、日中「和解」@1972
少し考えた。中共支那の核実験成功が1964年。東京オリンピックの年である。(おいらはこの世にいやしねぃ)
支那人は誰ひとりとして五輪スポーツには参加しなかったけれど、核爆弾は炸裂させた。
池田内閣。東京五輪を花道に。襲ったのは栄作。いま気づいたのだが、栄作→角栄とちゃんと「イミナを踏んでいる」ではないか!
栄作マジびびった!中共の核実験。これは全力で対処しないと「ぬっぽん」but属領だけど、が危ない。 核武装まじで考えた。
だから、「庁」つくった。
佐藤内閣の頃、栄作が考えたことは;
確かに、潜在的脅威であるソ連は核を持っていて、日本列島を射程にしている。ただし、平和友好条約はないが、まがりなりとも国交があるので、今夜、ソ連に核攻撃される可能性は極めて低い。
ところが、中共。 国交そのものがない。そもそも、中国共産党は日本帝国主義を敵とすのが本義であったのであるから、今、核攻撃してきても不思議ではない。
なんとか、しなければ。
策は大雑把に2つ;
①日本も核武装する。
②、①は無理なので、潜在的敵であり、その存在さえも公式に承認していない中国共産党率いる、中華人民共和国との、戦争状態からの脱却の確認と国交樹立を行う。
栄作は、①案に固執していたのであろう。 だから、②案に踏み込めなかった。
ところが、漢人、あっ、もとい肝心の宗主国の米国さまが①案に絶対反対だったのである。瓶のふた論。
→→→ 角栄「革命」。 ②策の採択。
でも、なぜ? 栄作/角栄境界は、相当の不整合。
というのが、今のところの、おいらの印象。
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