いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

こじきの眼差し。

2004年08月08日 08時10分36秒 | インド
いか@ インドを思い出す。


 インド旅行記には必ず「こじき」の記述がある。ただし、なぜか「こじき」とは言わず、物乞いなどという。それらの旅行記の落ちはたいてい「こじきのあげるもあげないも本人の意思」となっていることが多い。「私はこじきに求められると、幸い外国ぢ・インドに来るような恵まれた境遇なので、必ずなにがしかを差し上げることにしています」というのは見たことがない。中にはインド政府の貧民政策はどうなっているんだ!という極めて安易な持っていき方をしている文章もweb siteで見たことがある。

 さて、この写真の女性、おいらが、日曜日の人影少ないコンノートプレースを歩いていると、ずーっとつきまとい物乞いをしてきた人である。まあ、最後は何かあげなきゃずーっとつきまとわれるだろうと根負けしてコインをあげることにした。ついては写真を撮らせてもらうこととして彼女の目の前にデジカメを出して、間近でシャッターを切らせてもらった。

 今改めて画像を見ると、伝統的な服装であり、伝統文化的には貧困とは言えない。この点、半端なwestern styleで伝統的風俗を失った「近代国家」の貧しさから免れていると言える。さらに、おでこにインドでよく見る「印」をつけている。これは、既婚者の印と聞いたが。確かめてはいないが。(誰か教えて)。もしそうなら、彼女は既婚者ということになる。

インド ショッピングモール

2004年08月07日 07時39分16秒 | インド
いか@ 帰ってきてもインドを思い出す。ショッピング・モールのこころだ!

これだけカタカナ日本語が普及している日本で、ショッピング・モールという言葉はほとんどつかわれていない。英語圏社会ではショッピングモールはよく使う。日本ではよくショッピングセンターっていうかな。

で、これまでデリーの古い商店街・チャンドニーチョーク、巷の商店街を紹介してきたが、今回はぴっかピッカのショッピングモール。あいにく中の様子のデジカメは撮り損ねた。中はいかにも中産階級という人々がたくさん集まっていた。個々の専門店がテナントとして入っている。日本のように大型スーパーはない。あと、本屋もない。CD屋、服屋、高級みやげもの屋などがあった。そしてメインは映画館、シネコンである。ファーストフード店としてマクドナルド、サブウエイがあった。

お客としてきれいな女性がたくさんいたことを付け加えておく。

東京でもサリーを映す。

2004年08月06日 00時14分16秒 | インド
いか@ 東京でもインド人を見て、インドを思い出す。

いなかから電車に乗り東京へ向かう。そのいなか駅からインド人らしき夫婦がいた。同じ車両で東京へ。最後に後姿をデジカメで撮影。ちょっとわかりづらが、黄色い服がサリー。

インドから帰り、2週間目にして小熊英二『インド日記』を購入、読み始める。冒頭、ベンガル出身者がベンガルの英雄チャンドラ・ボースを自慢する件があり、おいらとかぶっている。やっぱり、読んでからインドに行かなくてよかった。予断を持ってしまったろうから、あるいは、かぶりを気にして、自分本位のインド観察ができなかったであろうから。7月9日の日記参照。

http://blog.goo.ne.jp/ikagenki/d/20040709

インド:素焼きの器:あるいは持続可能性

2004年08月02日 08時57分22秒 | インド
いか@ インドから帰って2週間。 やっと落ち着いてきた。

画像はインドみやげの絵と素焼きのつぼ。 素焼きのつぼ はインド国鉄の晩御飯についていた。これにヨーグルトが入っていた。インドでの素焼きの入れ物はがきの頃から知っていた。当時読んだインド旅行記に書いてあった。・・・チャイは素焼きの器に入れられ販売されている。飲み終わったら、地面にたたきつけて割る。破片は土に還る。・・・とあった。なるほど典型的なリサイクル物質である。しかし、今日、その25年前の旅行者の頃と変わって、インドでもペットボトルが主流である。ペットボトル入り精製飲料水は持ち運びに便利。かつ、その水はぺプシなど大手がやっている。いちど車から「貧民窟」でペットボトルを山のように集めているのを見た。リサイクルするのだろうか?素焼きの器に時代は変わりつつあるのだろうか?そんな素焼きの入れ物。もってかえってきた。ただ。インドらしい、かつ誰もほしがらないおみやげではある。

コロニアル風

2004年08月01日 00時55分34秒 | インド

いか@ 帰ってきてもインドを思い出す。

この写真は、典型的なコロニアル風の絵を狙ったものである。
コンノートプレースにて。コンノートプレースはニューデリーの核であり、ここを核として道路が放射状に延びる。コンノートプレースは小売り市場であるが、円環状の区割りに白亜の建物が整然と並んでいる。これは、「セポイの乱」の平定後、英帝が作ったインド帝国の首都ニューデリーの目玉である。

なにげない、白亜の円柱というのは元来インド風ではない。英国のインドに刻んだ遺産である。この車、車種も製造年代もわからないが、英国、あるいは欧州産の車だろう。国産自家用車を持たなかったころのインドでの車は、このような車しかなかった。現在はTATAというインド自動車会社があり、街でも自家用車が走っている。