いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

毎週、キンカンを撮っています。2

2009年11月14日 12時11分34秒 | 筑波山麓


【いか@ 筑波山麓 『看猫録』】のアクセス・ランキング

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(無題)

2009年11月12日 19時55分09秒 | 筑波山麓

今朝の筑波山麓キャベツ畑

反米集会の永井陽之助 1943@仙台

おとといの記事で言及した永井陽之助。

1980年代前半、中曽根内閣の頃、永井陽之助は強力な論客だったのだろう。がきんちょのおいらも少し読んだ。おいらが最初に買ったのは『冷戦の起源』。今調べたら、さっぽろ一番街、丸善のレシートが挟まっていた。

さて、10年くらい前に突然思い出したこと。誰かが、永井陽之助について語った文章で、戦時中高等学校時代に永井が反米集会に参加したときの思い出。その文章が誰による、何の本に載っているものだか全然思い出せずにいた。ぜひ、もう一度読みたいと。

今年の夏、わかった。それは1985年に出た、永井陽之助編、『二十世紀の遺産』(この800円と12,000円の差は何だ?)(文藝春秋)の、針生一郎(google)というひとの"「近代の超克」論の運命"という文章だということがわかった。

 永井陽之助とわたしは、戦争中の旧制二高文化乙類の同級生で、しかも二人だけ結核のため留年し、学徒出陣も工場動員もまぬがれた。サイパン島玉砕のとき、全校決起集会があると聞いて、療養中のわたしが出かけると永井もきており、二人あいついで発言する破目になった。もっとも、当時永井はハウスホーファーなどの地政学に共鳴し、わたしは日本浪漫派に傾倒していたから、どちらも右翼的にしろ発言内容は対照的だった。あれから四十年余すぎて、二人の立場は大きくかけ離れたともみえるが、どちらも本質は変わらず、あの夜の発言の差異を拡大してきただけかもしれない。わたし自身をふりかえると、「近代の超克」という課題が、みはてぬ夢のように一貫しているのに気づく。

この文章をおいらが読んだのは1980年代中盤であった。なぜ、記憶に残っているかというとその時点で1)永井を読んでいて、かつ2)おいらの永井像は"対米すがりつき"、アンチ・ゴーリズムの典型で、3)でも、永井の文章がすごいので、永井に関心があったという状況で、反米集会参加という過去のエピソードにおいらが印象を受けたのであろう。

ちなみに、おいらは当時(も今も)近代の超克」派にとても興味があったのだが、この針生一郎さんを当時よく調べなかった。今ならネットで検索すればいいのであるであるが、当時は検索するすべがない(書誌を引くくらいか)。

で、「近代の超克」派+反米集会という連想で、なぜ強烈な永井像をおいらがイメージしたかと、今振り返るに、1980年代初頭のイラン革命とその反米的継続がある。

当時の報道番組でイラン革命報道を見た。その番組は革命を担うある教師(英語講師!)を追うことでイラン革命に一端を見るというもの。おいらが、びっくりして印象深かったのはその革命教師はNHKのインタビューに英語で答えているのである。そして、授業風景がでるのであるが、生徒が3-4人教師とオーラルの英語を勉強していた。(絵でいうとこういう人物たちが、ということですもちろんこの本は革命被害者の会の本です)反米イラン革命政権下のその英語授業に驚いた。理由は自分が日本の学校で受けている英語授業の貧しさに気付いたからだ。

当時の、今も、日教組の英語教師で日教組の言い分を英語メディアに英語で説明できる日教組英語教員がどれくらいの割合でいるんだろうか?

そして、反米集会。そのNHKの番組は、生徒は教師とオーラルの英語を勉強したあと、全校反米集会へと向かう。大勢のガキンチョがアメリカ・バカヤローと言っていたんだろう。

当時、つまり米ソ冷戦が一番厳しい1980年代前半、イラン革命ホメイニは反米はもちろん、ソ連に向かっても共産主義などアホなことやめろ!と言っていた。ヤルタ・ポツダム体制打破を夢想するさすがのおいらも絵空事に思えた。

以上は、イラン革命での反米全校決起集会の映像においらが印象を受けたということ。そして、反米集会の永井陽之助 1943@仙台をその映像イメージで理解したということを言いたかったのです。

そして、中井正一にたどりついた。

上の永井についての針生の思い出の文章は次のように続く;

広松渉は数年前に出た『「近代の超克」論-昭和思想史の一断想』で、哲学者らしく京都学派に重点をおいた上、「昭和研究会」に参加して協同主義のい哲学を説いた三木清の京都学派にたいする影響を指摘しているが、「近代の超克」論としては中井の方がより体系的で、先駆的だろう。もっとも、わたしは数年前、少人数の若い世代とともに一年間中井正一を読むゼミナールを経験して、論理とイメージ、思想と社会的条件のあいだを縦横に往復する彼の美文調レトリックに、あらためて危ういものを感じたことがある。-針生一郎、 "「近代の超克」論の運命" 、永井陽之助編、『二十世紀の遺産』-

今はそんなに永井陽之助に関心があるわけではないのです。夏以来興味があるのは1930年代の状況。ファシズムか?、共産主義か?の時代について。「近代の超克」問題。今回、針生一郎さんの文章で、中井正一に気づく。今読んでいます。

●美文調レトリック、って永井のことだろう。


小さきものども、筑波山麓みかん

2009年11月10日 19時02分10秒 | 筑波山麓
  

スーパーでフクレみかんなる、とても小さいみかんを買う。ネットで調べるとなんと筑波山麓で採れたみかんのようだ。

◆フクレミカン(ふくれみかん)-こうじみかん-薄皮ミカンは古代柑?◆

なんと、筑波山でみかん狩り ができるとは知らなかった。

吉田ドクトリンは永遠なり 2009

今夜のNHKの番組に岡田外務大臣が出演していた。岡田外相の主張は、米国はブッシュ政権からオバマ政権へと変わったのだから、外交も変わる。という現状認識。そういう米国の変化に対応して日本は外交をすべきと。

この外務大臣の現状認識は、孫崎亨、『日米関係の正体 -迷走する安全保障-』で描かれている米国外交とは異なる。つまり、孫崎はW・ブッシュによる米国外交はW・ブッシュあるいはネオコンによる逸脱的例外的政策ではなく、冷戦終結に対して軍事力をそのまま維持しようとした米国の冷戦後の一貫した対外軍事政策である、と書く。これはブッシュ親子大統領に挟まれたクリントン政権でも同様。

そういえば、ヒラリー現国務長官はイラク戦争に賛成だった。

孫崎は「背景にはイスラエルの影がある」と書く;

こうして見ると、オバマ政権ほど、ホワイトハウスの主要ポストがイスラエルに近い人々で占められたことはない。ウオルト教授の懸念はますます強まっている。
 米国の中東政策を、オバマが述べた基準、「イスラエルを脅かす者は米国を脅かす者である」「イスラエルは質的軍事優位を有する必要がある」の二点に合致しているかどうかの視点でみると明快になる。
 イラク戦争は米国全体という広い意味で見れば明確にマイナスである。そして、この戦争が開始され、継続されていた要因をみると、表向きには出てきてはいないが、米国軍事戦略と米国国内でのイスラエルの影響力が最も強力である。
 そして、オバマ政権下でのこの二大勢力は、従来よりも勢いを増している。この勢力を増している。この勢力にとって米国軍の関与はイラクに限る必要はない。しかし、中東のどこかに強力な軍事展開のあることが望まれる。そしてオバマ大統領はそうした軍事展開を行うであろう。


一方、孫崎は21世紀の永井陽之助系の"吉田ドクトリンは永遠なり"派だとわかる。『日米関係の正体 -迷走する安全保障-』においても吉田茂の名前を出して、評価している。その評価の論理は;

吉田元総理も下田元外務次官も、日本が米国戦略に巻き込まれたり、自衛隊が米国戦略の下で海外に行く状況に極力反対した。これは今日、日本が米国の要求を出来る限り受け入れようとする動きと逆である。多くの人は今日の外務省の動きを見て、親米一辺倒が外務省の一貫した流れのように受け取っている。しかし、外務省の歴史を見ると、今日の状況はむしろ常態ではない。

孫崎は日米安保とは何か?を改めて確認している。日本は基地を提供する義務を負っている。だから、米国のために海外で軍事行動をする義務はないと。

孫崎は『日米関係の正体』において永井陽之助の名前は出していない。しかし、アイゼンハワーの産軍複合体批判を引いて米国の軍事外交政策に懸念を示している。永井陽之助だ。

永井陽之助が死んでまだ1年経っていない。無形文化財「吉田ドクトリンは永遠なり」は連綿と継承されるのであった。


『現代と戦略』

永井陽之助、『現代と戦略』(1985)の冒頭は岡崎久彦批判から始まる。本編でも岡崎ら"軍事アナリスト"批判である。時は流れた。岡崎久彦と孫崎亨の対談 (2009)。これは、貴乃花⇒千代の富士⇒若乃花になるんだべか?

■さて、岡田外相。 どうなるんでしょう? 東アジア共同体なんて突発してるし。でも、おいらが思うに、<吉田ドクトリン>の本義はバンドワゴニング、つまりは長いものに巻かれろ、強くて金持ちのやくざに"部屋"貸してビル管理人として生き延びろ!というカタギ (平和国家) に還俗した元やくざ (敗残した帝国主義国家) の処世術かと。 だから、「東アジア共同体」は21世紀的に発展した<吉田ドクトリン>かと。 中国もすごい経済大国になったし。 この点は永井センセも意外、望外?、であったろう。 中国こそ日米と大規模に通商を行う"海洋国家"になった。高坂正堯センセもびっくりだ。 吉田ドクトリンは永遠なり !

21世紀はモロコシが台頭するので、琉球はモロコシ海軍の太平洋への出島として、再び賃貸しに出すんでしょうかね!!!???

吉田ドクトリンは永遠なり !

You talkin' to me? No, they talkin' to you !

2009年11月08日 01時10分43秒 | 北米出張・事情
- - それが、ヴェルト近傍の戦闘の砲声とどろく中で書き始められたものとは、誰も夢にも思うまい。 - -

自著『悲劇の誕生』を語るニーチェ、『この人を見よ』より
 

■今週は米国、それもテキサス関連のニュースが2つ。 本国で相手にされないのか?属領に御漫遊されたのがW・ブッシュさん。小泉さんと負け犬たちのぼやき宴会でも行うのであろうか? 

東京ドーム(旧後楽園)の始球式ってのもいいね。共和党を敗北に導く政治的成果を上げたW・ブッシュも「米国ではイラク・アフガン泥沼化への批難が騒がしいが、属領の東京ドームはいつも通りである。私には“声なき声”が聞こえる」とでも言っているんだべか?

ナベツネなんかが胸に正力松太郎の遺影を掲げて最敬礼で出迎えたんだろうか?
(もちろん、後楽園球場での昭和16年12月10日の大イベントを必死で隠して....)
 CIAも先行投資の甲斐があったというものだ。

▼W・ブッシュの世界観

おいらが驚くのはW・ブッシュの世界観に日本の自称"保守派"がなんら違和感を示さないことである。W・ブッシュがどんな世界観を持とうが勝手ではあるが、そんな世界観をもった政治家と同伴/従属しているものどもはどう考えても保守派ではないだろう。

W・ブッシュの世界観は極めて単純で、『我々米国は「自由」を価値とする人類最高の価値の持ち主だ。一方、その「自由」を憎むならず者がいる。こいつらは米国に攻撃してくる。だから、成敗すべきだ。成敗した後の彼らは「自由」を知って我々に感謝するだろう。ほれ、日本を見ろ。この典型例だろう。 見ろよ、彼らはアメリカ人と同じようにうれしそうに野球をやっているじゃないか。』

びっくりな単純さだ。 もちろんこの単純な世界観にsupporting evidenceを与えているのが日本の生き方である。「ほれ、日本を見ろ!」。しかし、これは米国には不幸なことであった。なぜなら、イラク人やアフガニスタン人は日本人のようではないからである。核攻撃や空爆をして、占領して、憲法をinstallすれば済んだのは日本だけであった。敗戦60年経ってもまだマックOS@御名御璽付き動いてるぜ! 当然、おいらも「ほれ見ろ!」サンプルだ。感謝している。

そんなブッシュ元大統領は早稲田大学でスポーツ経営について講演したそうだ。やっぱり、引退・廃業したかれはスポーツ冒険家を目指しているのだろう。

You talkin' to me? No, they talkin' to you !  


taxi driver             psychoanalyst
復員後               出兵前から

そんな日本御漫遊のW・ブッシュのふるさとでは大変な事件が起きちゃった。米基地で銃乱射、13人死亡…犯人は軍医少佐。ニュースの第一報では容疑者が軍の精神科医であることが知らされた。本人自身米国生まれのヨルダン系のムスリムであるということを知らない段階でおいらはすごく納得してしまった。

背景としてこの基地からこれまでイラク、アフガニスタンに多数の陸軍兵士が遠征し帰還。その帰還兵の少なからずが精神を病んでしまっているらしく、さらには自殺者も多いらしい。

今年夏、NHK BSの番組でベトナム帰還兵の精神病理を扱ったドキュメンタリーを見た。そのベトナム帰還兵は地上戦、それも農村の掃討作戦に従事し、その際ベトナム人親子を銃殺したことで精神がおかしくなってしまった。そのときの「殺害」の場面をカメラに向かって告白している。告白時は薬づけで体が震えている。実はその告白のフィルムはずっと以前のもので、その帰還兵はその後自殺している。このベトナム帰還兵の精神病理の研究でできた用語がPTSD

つまり、木曜日のテキサス、フォードフッドでの精神科医ハサン容疑者は、このような話をたくさんの精神を病んだ復員兵から聞く仕事についてきたわけだ。テロリスト掃討作戦で、ただの人(無辜=むこ)を殺してきたアタマおかしい兵士がハサン軍医に用があったのだ。心の闇を吐き出したいと。They talkin' to you ! おいらも、NHK BSのベトナム帰還兵の話、女が爆弾を持って走っていたので、すかさず銃撃したら、"爆弾"は赤ん坊で、頭が半分吹き飛んでいた、という告白が夢に出る。こんな話をたくさん聞かされたら、聞かされる側の精神の方がおかしくなっちまう。

他人の痛みがわかる人間になれ!とか説教する大馬鹿者がいる。人間、他人の痛みなんか感じられないから、生きられるのである。他人の痛みをわかる「誠実」な人間はとっくに、テロリストか狂人、あるいは両者になっている。 説教者は他人の痛みをわかっているという自己欺瞞の上に無定見にあぐらをかいているから、そんなのんきなことが言えるのである。

復員精神病者の体験談を反復する精神分析家の方が「アタマおかし」くなってしまう、すなわち、狂信的な者になってしまうのであれば、元来ムスリムのハサン軍医少佐は、「狂信的」なムスリム(イスラム教徒)というわけだ。

■不謹慎ながらハサン容疑者がSgt.らしいので貼りました。彼もlonely heartだったのでしょうか? 別にrepriseしてるわけではありません。

The Beatles - Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)









*1 米基地で銃乱射、13人死亡…犯人は軍医少佐
米基地で銃乱射、13人死亡…犯人は軍医少佐
銃を乱射したハサン容疑者=AP

 【ロサンゼルス=飯田達人】米テキサス州中部のフォートフッド陸軍基地内で5日午後1時半(日本時間6日午前4時半)ごろ乱射事件が発生、居合わせた兵士ら13人が死亡、30人が負傷した。
米フォートフッド陸軍基地で、乱射現場に駆けつけた警察官(テレビ映像から)=AP
テキサスの陸軍基地で起きた銃乱射事件について声明を発表するオバマ大統領=ロイター

 軍当局者は記者会見で、犯人の少佐は警官に撃たれ負傷し、保護下に置いていることを明らかにした。連邦捜査局(FBI)と州当局が動機などを調べている。

 米メディアによると、乱射したのはニダル・マリク・ハサン少佐(39)。精神科担当の軍医で、近くイラクかアフガニスタンに派遣される予定だった。乱射はイラクやアフガニスタンに派兵予定の兵士が身体検査などを受ける施設内で起きた。犯行には自動発射式銃が使われていた可能性がある。

 米陸軍では最大規模のフォートフッド基地(約880平方キロ)は陸軍第3軍団が司令部を置き、約3万5000人が駐留。

 同基地からはこれまでに1万人以上がイラクとアフガニスタンに派遣されている。ロイター通信によると、イラク戦争が始まった2003年以降、精神的ストレスなどから兵士75人が基地内や周辺で自殺しているという。

 FOXニュースは、ハサン少佐がイラク、アフガンでの戦争に反対だったと報じ、精神的に不安定だったとの情報もある。オバマ大統領は5日、「国内の基地で戦火が交わされるとは衝撃的だ」と述べ、徹底調査を命じた。

毎週、キンカンを撮っています。1

2009年11月07日 08時46分06秒 | 筑波山麓


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誤差(エラー)の顛末

2009年11月05日 19時20分08秒 | その他
  

■最近知ったこと。モンパルナス駅機関車暴走事故。

以前から表紙のインパクトが気にかかっていた本。『計測における誤差解析入門』。誤差⇒⇒⇒この結果、というのもすごいなぁ、と思っていた。この表紙は原著から来ていると確認(画像右)。何の根拠もないのだけれども、この事故は英国なんだろうな、と思い込んでいた。

そんな今年夏、たまたま読んだ『フランス』(渡辺 守章ら、1983、岩波書店)に、壁から飛び出した蒸気機関車の写真が掲載されていた(本記事最下部の画像)。これを見ておいらがこういう事故がこのころヨーロッパでは続出していたんだろうなと思ったが、よく見ると『計測における誤差解析入門』の表紙写真と同じ事故らしい。読むと、1895年のモンパルナス駅の事故と知る。なぜこのモンパルナス駅事故の画像がこの本にあるかというと、フランスにおけるサン=シモン主義についての次の解説に呼応しているのだ;

サン=シモン主義の影響は奇妙なところまで拡がりだしていて、何よりもそれを象徴するのが蒸気機関車です。 力が強くて、たくさんの群衆をのせ、石炭さえあれば止まることなく、どこかへ向かって邁進して行く。この蒸気機関車のイメージが、未来像を形づくってゆく上でかなり大きなものだった。文学作品の中にも繰り返しあらわれてきます。(蓮實 重彦)

サン=シモン主義やコントの生産至上主義、それも科学技術を適用した生産至上主義の象徴に蒸気機関車がなっていたという指摘だ。この科学技術を適用した生産至上主義をハイエクは「科学による反革命」と批判した。

ところで、蒸気機関車はともかく、現代の金融工学こそ数学や電算機を体系的に援用したハイエクのいうところの「科学による反革命 -理性の濫用」なんでないべか。今回の2008年の国際金融崩壊こそ暴走機関車の転落にほかならない。error analysisしろよって感じ。

ハイエク系"保守"派からのネオリベ批判、金融グローバリズム批判って今あるのかな?

▼最後に、error analysisの表紙に暴走機関車を用いるのは一種のしゃれである。つまりerror=過失、手違いの意にかけてある。誤差はerrorという語の多彩な意味の一部である。なので日本語の誤差論の本に事故の写真が載るとぎょっとする。ちなみにこのモンパルナス事故、死者1名。福知山線脱線事故は死者107名である。




日帝の手切れ金

2009年11月03日 19時40分45秒 | 日本事情


池袋ジュンク堂の7階の理工書売り場に行ったら奥に「木田元書店」なるものがあった。池袋ジュンク堂のほかの階などでこの「木田元書店」の案内や呼び込みを見なかった。おいらが、気付かなかっただけなのか?とおりすがりの哲っちゃんは素通りしてしまうだろう。木田元推薦?の本を並べているらしかった。ただし、大日本帝国海軍や兵学校関連の本は並べられていなかった。

木田元書店、好評のため延長になりました。

闇市ではないようだ (w)。

日帝の手切れ金

少し前、たまたま読んだ2冊に日帝の手切れ金のことが書いてあった。これまでおいらがわずかに読んだ戦争体験記には書いてないことだ。

■1.
 帰りの汽車の中で私は退職金にこだわっていた。私たちは大学在学中に学業を中断して、国防に奉仕することを要請された。私たちはこの要請に応じるのが国民の義務であると考え、義務を果たすためには死すら覚悟した。政府や軍は、彼らのひとりよがりの戦争目的を達成するために、次々と無謀な作戦を強行して失敗し、最後に私たちが動員された時には、私たちがどれほど力戦奮闘しても絶対に勝算がないような状態に日本は追い詰められていた。
 にも拘らず、私たちは戦った。勝てる筈がないことを承知で戦ったのだから(理性ある海軍軍人ははっきりとそう認識していた)、勝つために戦ったのだといえば嘘になる。国民の多くが義務だと言われて従軍させられているのに、自分たちだけがそれを忌避するのは背徳的であるから、私たちは義務を果たしたに過ぎない。このような行為は金銭抜きの行為であり、それに対して退職金を支払うのは紳士に対してチップを渡すような侮辱である。しかも私が戦った戦は戦とはいえない。にもかかわらず私が受け取った金額は、少尉の月給に戦時加算したものを更に何倍にもした莫大な額であった。「学徒兵は傭兵でも職業軍人でもない!」
 私は「いやな金」を受取ったことを後悔した。
 しかしディレンマはすぐに解決した。  (中略)  背嚢の蓋をあけて中に入れてある財布に切符が入っているかどうかを確かめた。(略)背嚢は通路に置いたままであった。便所から出て、西宮で降りて改札口で切符を出そうとした時に、初めて私は何が起こっていたかを了解した。
 切符は憲兵隊に事情を話して無料で再発行してもらったが、金は―父からの大金をも含めて―全部無くなっていた。しかし私は、喉に詰まった玉が溶けた思いであった。 「金儲けに軍隊に行ったのではない」 と私が力説したら、彼女は、 「でも間抜けさんであることには変りないわ」 と言った。
 これで私の青春の一時期を劃した海軍生活は終わった。

-森嶋通夫、『血にコクリコの花咲けば』 第三部 第二二連合航空隊司令部以後 -傲慢と頽廃に抗して-


■2.

 品川に着いたが、東京は焼野原、中野区の先輩の住所を訪ねたが、まったく関係のない人が住んでいて消息のつかみようもない。誰かに教えられて、上野駅の地下道にいき、焼け出されたり、復員しても行き先のなかったりする人にまじって、野宿をはじめた。闇市もできていたし、浅草にいくと、怪しげな雑炊のようなものを食べさせてくれた。兵学校を出るときに一律に渡された六〇〇円が、まだ半分くらいは残っていたのではなかろうか。あのころは汽車賃など安いものだった。

-木田元、 『猿飛佐助からハイデガーへ』2 「俳文俳句集」-


ちなみに、この600円の当時の貨幣価値について、木田は当時浅草で夕食が10-20円で食えたと別の機会に述している。


  
もらったはずだよ、手切れ金

写真左;阿川弘之、 同右;松本善明

●こりゃ、ひどい;

猫猫センセ曰く;

まあ、宮本顕治が十二年間獄中にいたから崇拝されたのと同じ構造だわな。北海道って空襲がなかったから、網走にいた宮本は実は妙に安全だったというわけ。*1

いえ、いえ、北海道は空襲どころか、艦砲射撃をも受けて、室蘭、釧路は壊滅しているんです。 おそるべし! 『すばらしき愚民社会!』。 バカが意見する世の中! おいらもバンバン意見しちゃってます。

(注目すべきは、艦砲射撃=沖合に敵がいる、ということ。上陸作戦が次に来てもおかしくない。最初に北海道に米軍が上陸して、 バスチーユ 網走刑務所「解放」!ってなことになったら、それはそれで、おもしろいかも。府中じゃなくて、網走で、マッカーサー@解放軍万歳!が)


洗練された情熱派。 (おいら、泉谷しげるがムショから出てきた写真だと思っていたよ)


猫猫センセは都合の悪いことはあとから消すので、保全。

たとえば、この愚記事の猫猫センセブログへのリンク先;すっぱり消去、あとアナン事務総長(当時)の夫人問題、や安倍晋三の成蹊大卒という学歴も消去。 

*1
以下、コピペ;


  「湾岸戦争に反対する文学者の署名」に署名した人が偉そうなことを言っているぞ。最も低レベルな思想的行為をした人が。あの件はどこかで総括して謝罪したのかな。

------------------------------------

前に『童貞放浪記』のイヴェントで阿佐ヶ谷へ行った時に、見沢知廉関係のイベントのポスターが貼ってあって、何とも珍妙に思ったものだ。明らかに左翼的な雰囲気の中に、右翼活動をして人を殺し、刑務所に関する不平不満ばかり並べていたやつが、なんで左翼のスターになるのだ。政治活動をして刑務所に入って、自殺すると偉いのか。まあ、宮本顕治が十二年間獄中にいたから崇拝されたのと同じ構造だわな。北海道って空襲がなかったから、網走にいた宮本は実は妙に安全だったというわけ。ドストエフスキーなんかも、シベリア流刑があるから崇拝されるのだ。そういうのを「シラカバ派」と言うのだがね。

 だいたい雨宮処凛は、見沢なんぞを崇敬していた過去を清算しているのか。私はもうその点から雨宮を信用できない。


消火器たくさん

2009年11月01日 15時16分13秒 | その他


解散した会社の整理にて。

■ 憧れの詐欺師

おいらが心底憧れて、絶対になれないのが、詐欺師である。

まさに、このことこそおいらがこの世、つまりおいらをして詐欺師とならしむることあたわずとしているこの世、を呪う原因である。

つまり、おいらは人をだまさむと欲しても、あまりに見た目と言ってることが、いか@サマなので、誰もだまされないのである。

人をだます技術こそ*1、人類・文明の中でもっとも卓越しているものにほかならない。 おいらが得ることができないものだ。

すなわち、別海町*2出のペテン嬢。そのペテン嬢があこがれる「叶姉妹」。あの別海詐欺女の「叶姉妹」風虚言癖には、泣ける。憧れに、あこがれる! まさに、昨今の典型的ペテン師の言に他ならない。

そして、姉妹=きょうだい、といえば、勝間和代と佐藤優が義兄妹(きょうだい)ではないかといううわさ (特に「勝間和代論」)。 今一番、素人をだましているお二人である。 うらやましい。 そして、最近お座敷に声がかからなくなった先代ペテン師の立花隆(@元・日帝子供!)が、佐藤優にぶらさがって、あるいは田中派残党正嫡の小沢一郎批難にすがって、"また世に出ずる日の誉れ"を謀っているのも悲しい。

おいらには、「叶姉妹」も勝間和代も佐藤優、そして、伝聞で聞く別海町結婚詐欺女も、同じ範疇に分類されのだが...。 これはおいらのいつものひがみ根性に違いない。


*1; 当然、勝間和代、佐藤優義兄妹の最期の出版物のタイトルは、『素人をだまして、たくさん本を売る技術』にほかなならない。

▼↓元祖、素人だまして、訴えられて、死刑になった人。


*2; 別海町:発音は、べかいちょうではなく、べかいちょう(←うそ、*3)。最初の建「国」の理念のイメージは、こんなだけど、現実は宗主国の実弾射撃場がある町。

「年に数回程度ヒグマの出没により夜間訓練等が中止される場合もある」って、某国の工作獣の仕業か!!??

*3; おいらががきんちょの頃は、パイロットフォームの典型・模式地として、「べかいちょう」という発音で習った。