いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

タージマハルのおみやげや

2011年03月27日 20時37分48秒 | 日本事情




「タージマハルのおみやげや」;ハイデガーの造語趣味は有名。おいらは、造語はさすがにおこがましいので、造句を。

「てめぇーは、"タージマハルのおみやげや"なんだよ!」、とはおいらが過酷な渡世で、つい口をつきたくなる句である。もちろん、発語したことはない、たぶん、発声練習が足りないんだんだと思う。発狂練習ばかりにうつつをぬかしてきた報いである。

「タージマハルのおみやげや」とは何か?

タージマハルができた時期は、日光東照宮と同じぐらいの頃。今じゃ、世界中からタージマハルを見物に人々が訪れる。今ほどではないが、英領になってからは特に、昔から多くの人が訪れる。おいらがタージマハルというのを知ったのは十代末期。その頃の日本は基本的には、まだ、毛唐文明を摂取し、乗り越えろ!という成り上がり者の時代。ただし、最末期だった。毛唐文明を摂取し、乗り越えろ!という「時代」の要請に、背骨をへし折られる気分だったおいらは、「"アジア"」へ逃避。見つけた、チャンドラボースとタージマハル。大川周明経由で。毛唐文明相対化の入口。もちろん、座学。まさか、その20年後、実際のチャンドラボースタージマハルを見聞できるとは思わなかった。

そして、何より、その理由が、ネオリベ的、経済のグローバリゼイションなのであった。

■で、「タージマハルのおみやげや」

タージマハルのある街はアグラという。タージマハルなどの超有名観光地である。当然、おみやげ屋も多い。何より、観光客相手の様々な職種、極端には乞食まで、多い。彼らの生業の根拠はタージマハルなどの数百年前に建設された歴史遺産に他ならない。

別に、彼ら現在観光関連業でメシを食っているひとたちを特に侮辱しようとも思わないが、彼らは数百年前に英知と労力を結集して建築したタージマハルに寄与しているわけではない。時間的に見ても当然のことだ。一度構築され、かつそれは腐らない大理石であり、かつ地震なぞなく安定であるタージマハルは、彼らにとってお月さまに次ぐ安定で、所与のものである。所与のもの。まさか、生きてタージマハルを見れるとは思わなかった二十歳の頃を経験しているおいらには、タージマハルが所与であるとは、すごいことである。

「タージマハルのおみやげや」=所与であること;

いいたいことは、このこと。「タージマハルの存在が所与であることを前提とするおみやげやさん」って、いったい....、というツッコミ。

こういう人たちは、現在の日本で多いのだ。というか、ぬっぼん・えすたぶりっしゅめんとの主流派がこれなんだろう。

生まれた時から「タージマハル」は眼中にある。「タージマハル」を「タージマハル」とは気づかずに育った"おぼっちゃまたち"。「タージマハル」のありがたみも、建築方法も知らない"おぼっちゃまたち"。彼らの仕事は"ドレイ"たちに「タージマハル」の維持管理(ルーチン)を命じることである。草刈とか、入場料の徴収とか。もちろん、「想定」外に「タージマハル」が瓦解した時、復旧する術(すべ)はもちあわせていない。

▼高温多湿島のおみやげや; タージマハルは地震のない地域に大理石でできている。腐らない。一方、高温多湿のある島では1000年以上前からとされる構築物が、20年ごとに総取り換えされる。すなわち、解体され・建築される[極東のde-construction!]。その近くの"おみやげや"の"ぼたもち屋"が長年の「るーちん」に厭きてか、堕落して、潰れかけた。やはり、かれらもぬっぼん・えすたぶりっしゅめんとだったのだ。すごいぞ!宮大工。だめだぞ!ぬっぼん・えすたぶりっしゅめんと! でも、その時もでたよ。「本当に赤福は悪いのか!」って。今日も出てる、「本当に東電は悪いのか!」って。

痛いニュース; 東電社員「東電を非難するのは構わないが、自分たちが被害者だといった考えはやめろ」「贅沢な生活をしていることを今一度再認識しろ」


タージマハル前庭の草刈り@下受けに違いないだろうが、被曝の心配なす。