いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

お気楽、安楽日記、あるいは、その身を護る魂の -ふく太郎-

2011年03月17日 19時20分32秒 | 日本事情


■おいらはお気楽、安楽である。地震の被災者は所詮他人ごとに過ぎない。あまつさえ、そういう災害をネタに自分のうさを表現として晴らしているのだから、イシハラ大明神のおっしゃいまする天罰が下るべきはおいらである。でも、そんな天罰なぞないと高をくくっているので、やはり、お気楽である。

でもさぁ、「今回の震災にあわれた皆さまに深くお見舞い申し上げます」とか口先三寸、キーボード三寸で書いている人のブログの以前の記事をほじくり返すと、いろんな事故・災害ごとにそうやってかいてるんだよね。一度、あなたがこれまでお見舞いしたことを全てソラで挙げよ、ってお尋ね申し上げたい。その瞬間の誠意は疑うべきもないが、それって結局無責任にしかならないんじゃないだろうか。

●"おいらが 幸福になろうが不幸になろうが、ブログを続けたい"、とか生意気な口をきいているが、実際被災すると「震災日記」なぞかけるかわからない。本物の震災日記⇒期間限定の独り言  震災日録と号す。 被災した上にアカ新聞の取材のハラスメントを受けたとのこと。災難でした。緊急用のネタだんだろうか?

―危険だけど、やっていくんだ―

▼3月11日の14時46分の大揺れの約8時間前、おいらはTBSラジオを聞いていた。生島ヒロシのその番組で、その朝、木元教子がゲストで原発の優位性を訴えていた。原子力発電は二酸化炭素を出しませんからね!クリーンなんですよ!クリーン!!!その時、いくらのおいらでも「そういう言い方は強引だろう」と思った。しかし、まさか、その直後、原発が壊れて放射性物質をまき散らすとは誰も考えなかっただろう。おいらだって、実態としては原発容認派に他ならない。原発のおかげでこうやって、ネット遊びもできることはいうまでもない。ただ、原発は安全ではないだろう。危険だ。危険だけど、やっていくんだ。なぜなら、危険を避けて生きたいなら、まずは日本人を辞めなくちゃいけない。つまり、例えばパリやモスクワって有史以来震度3以上の地震なぞ経験したことがないはずである。地球上で地震の起きる場所は限定され、われらが日本はこの地球上でもっとも地震が生じる頻度の高い地域である。地震だけではない、火山。日本は火山列島。欧州には、イタリア以外、火山なぞない。台風。毎年来る。毎年何百人も、時には何千人も死ぬ。以上、自然現象。

社会現象としては、毎年1万人ほど交通事故で死ぬ。毎年3万人が自殺する。

以上、「非業」の死。 一方、毎年、約百万人の日本人が「寿命」を迎える。

●別においらは、原発事故の被害を相対化したいわけではない。指摘したいのは、原発推進の御用評論家どもが、今回の事故を、交通事故なんかに比べれば、些細!些細!と、なぜ訴えないかということだ。

実は、「無定見」な原発推進の御用評論家どもは今回の事故にびびっているのだろう。自分のこれまでのおためごかしの御用言動が批難に曝されるのが怖いのだ。被曝(さらしこうむるの)が怖いのだ。へたれなやつらだ。(弁護士の北村晴男さん、経済評論家の勝間和代さん、タレントの薬丸裕英さんが原子力の優位性をPRしていた。 )⇒映像⇒「それぞれの立場」篇のCM ←大嗤い、「原子力にしかできないことがある」って、放射線と放射能の環境への汚染のことかね?


薬丸氏:
「地球環境問題について、親として子供たちの将来のためにも真剣に考えていかないと」
「地球温暖化の原因と言われるCO2を出さない、環境にやさしく、安定している発電方法って、何か」


って、親として子供たちの将来のために放射線・放射能を撒き散らすってこと????


「おまいら、電力享受者どもよ!暖衣飽食に与れるのも原子力発電のおかげじゃないか!原発の6基くらいブチ壊れたくらいで、がたがた言うな!」って言う覚悟もなかったんだね。

「1000年に一度の天災」で逃げようとしている。

―その身を護る魂の―

原発という人類の技術の「"精華"」とは、月とすっぽんの装置を、おいらは設計し、製作してもらい、使っている。それで、毎日death valleyで、がんばっている。そんなおいらの装置には「ふく太郎」がついている。―その身を護る魂の―。「ふく太郎」の"ふく"は福ではなく、噴(ふ)くに由来する。"噴出"の「噴」。圧力容器が破裂するのを避けるために、一定圧力を超えると圧力容器の中身を吹くのだ。圧力安全弁「ふく太郎」。もちろん、おいらが圧力容器内で扱う物質は凡庸なもので、万が一噴出しても、そう外界を汚染はしない。だから、装置を格納容器に入れる必要はないのだ。

その「ふく太郎」のふるさとは岩手県(蒸気、空気、水等流体用自動制御弁の製造販売を目的とし、岩手県紫波郡に資本金2000千円にて株式会社フシマンバルブ製作所を設立)。岩手工場もある。地震で大丈夫だったのだろうか?

誰が徐熱する?

今回の原発事故は、火事のようなものでない。時間が経てば、鎮火するものではない。むしろ、核燃料棒の継続的発熱により、冷媒のはずの水は気化し飛んでいき、核燃料が発する熱は蓄熱するばかりである。継続的熱除去が必要。ただ水をかけたって、徐熱できていない。核燃料の発熱量より大きい徐熱をしなければない。水を注入するだけではだめ。注入した水は温度が上がる。そうすると水は蒸発してしまう。温水の熱を取らないといけない。

でも、実際は発熱、水の蒸発、燃料棒露出、蓄熱という暴走のスパイラルに落ちいっている。そして、何よりの問題は、この暴走のスパイラルで発生する放射線・放射性物質の増加で作業者が近寄って作業ができないこと。もう、手をこまねいて、暴走を見守るしかない。それを、打破するのは...。

それは、言っちゃいけないことことなんだろう。数十人が冷却装置の継続的作動を実現させ、燃料棒の溶融を止めるしかないのではないか?さもないと、発熱と水の蒸発⇒温度上昇⇒格納容器損傷⇒放射性物質の外界への漏えい、ということになる。そして、その数十人は死ぬだろう。

地震直後、自動冷却装置が作動しなかった時、当事者は、この危惧をもったにちがいない。それが、なぜ今日の事態になったのか。

それにしても、一時、東京電力は政府(自衛隊)にケツを拭かせようとしたとの報道。いわゆる、撤退宣言。それが首相の「撤退などはあり得ない。覚悟を決めてください。撤退したときは東電は100%潰れます」発言。問題は、誰が「死を伴う業務」を命令するのかということ。そのことを予め決めずに原子力発電所を運転していたのは、―危険だけど、やっていくんだ―という精神に欠けていたのだ。最悪の事態への次善策を常に用意しなければいけない。





そして、なぜかしら、警視庁の放水隊が......。(#1) 死ぬべきときは今なるぞ!の抜刀隊の伝統なんだべか? (放水は届かなかったとのこと。やはり、精神・魂が先走っているのだ)

●#1
地上放水11人、決死の任務=「リスク承知」-福島第1派遣・警視庁

あと、放射線防護服なんてものはないんだよ。鉛の服を着ない限り。でも、鉛の防御服(実際にある)を着てちゃ、作業なんてできない。

地上放水11人、決死の任務=「リスク承知」-福島第1派遣・警視庁

 警視庁機動隊の隊員ら11人が17日午後、東日本大震災で被災した福島第1原発に到着し、3号機に向けて放水した。同庁幹部は「リスクは承知の上だ」と語ったが、苦渋の色がにじみ出ていた。
 機動隊員10人、警備2課管理官1人が午後2時57分、第1原発に向かったとの報告を受けた-。同庁警備部幹部は午後3時すぎ、報道陣を前にこう切り出した。
 放水車を操縦する10人は警部補以下の25~41歳。大半が既婚者だ。放射能防護服に身を包み、被ばくの危険がある現地に赴いた。
 福島第2原発で東京電力などと作業手順を確認したが、第1原発に見立てて訓練する時間もないほどの慌ただしさだった。
 同幹部は「現地の放射線のレベルは低くはないと聞いている。(隊員の健康に)リスクがあるのは承知の上だ」と言及。説明中は目を赤くした。
 別の幹部は「ぶっつけ本番で、隊員の緊張はピークだろう」と気遣い、「決死隊だ」と唇をかみしめた。
 「放水した」との報告が現地から入ったのは午後7時すぎ。隊員らは現場に長時間とどまった後、ぎりぎりまで3号機に迫り、約4トンを放水した。
 警察庁は、隊員らが一定の放射線を浴びる可能性は高いとみて、除染など万全の態勢を整えた。同庁幹部は「厳しい任務だが、やり遂げてほしい」と祈るように語っていた。(2011/03/17-23:27)