草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

根拠のない脱原発は東京都民を混乱させるだけだ!

2014年01月19日 | 選挙

 福島第一原発を経験した福島県民としては、脱原発でやっていけるのであれば、それに越したことはない。しかし、世のなかそう甘くはないだろう。民主党が政権をとったときも、今回と一緒であった、消えた年金問題が連日マスコミで取り上げられ、民主党政権が誕生すれば、国民の誰もが年金の恩恵に浴するかのようなイメージ選挙が行われた。それに反発したのはネットだけであったが、今と違って影響力がなかった。それと同じで、すぐ明日から脱原発が実現するかのような公約は、都民を騙すことになりはしないか。福島県は猪苗代湖から始まって、只見川の電源開発、さらには浜通りの原発というように、東京へ電力を供給し続けてきた。それがあればこそ、現在の東京の繁栄があるのだ。脱原発を主張する人たちは、それを実現する工程表を都民に出す責任がある。今日の産経新聞でも触れているように、新潟県の柏崎刈羽原発一基の発電を生み出すためには、約58万平方キロメートルが必要となり、それは山手線の内側にソーラーパネルを敷き詰めたのと同じ広さだとか。それを風力発電に換算すると、茨城県の霞ケ浦に風車を敷き詰めなくてはならないのである。景観どころではないのだ。そこに輪をかけて、電気料金は今の2、3倍になるという。方向性は脱原発であったとしても、そこにいたるまでには、いくつかのハードルを越えなくてはならないのだ。細川元首相と小泉元首相を持ちあげるマスコミは、そこまでは考えてはいないのである。間違っても東京都民は、あのときの過ちを繰り返すべきではないだろう。

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日本国民を今突き動かしているのは攘夷のパトスだ!

2014年01月19日 | 政局

 日本国民が攘夷に傾いてきているのは、国の政治に責任があるのではないか。特定アジアの国にやりたい放題のことをされると、いくらおとなしい日本人でも、堪忍袋の緒が切れてしまうのである。未だに私は大アジア主義にこだわりがある。人種によってではなく、共同体としての共通の目標を持つならば、日本民族としてまとまれると思っているからだ。しかし、もはやそんなレベルではないようだ。中共や韓国は国を挙げて、日本叩きを行なっている。これに対して日本国民の多くが怒っているのである。行動する保守が登場したのには、そうした背景があることは否定できない。坂本多加雄ではないが、それ以前に日本は国家として身構えるべきであったのだ。中共や韓国は国際社会を味方につけよとして、必死になってロビー活動を行なっている。やることなすことが全て難癖であり、あまりにも常軌を逸している。戦後の日本は誤った自虐史観によって、自分を悪者にすれば、世界は手を差し伸べてくれると思っていた。諸国民の公正と信義を信じていたのである。その結果が今のざまなのである。戦後の言論界をリードしてきたマスコミやサヨクは、それについての責任をまったく取ろうとしない。日本国民の攘夷が日々エスカレートしてきているのは、日本が国家としての意思表明を怠ってきたからである。石原慎太郎はそれを見抜いていたからこそ、自立した国家を主張したのだ。石原が東京都知事選挙での田母神元航空幕僚長を応援するのも、そのための突破口にしたいからだろう。

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