福島第一原発を経験した福島県民としては、脱原発でやっていけるのであれば、それに越したことはない。しかし、世のなかそう甘くはないだろう。民主党が政権をとったときも、今回と一緒であった、消えた年金問題が連日マスコミで取り上げられ、民主党政権が誕生すれば、国民の誰もが年金の恩恵に浴するかのようなイメージ選挙が行われた。それに反発したのはネットだけであったが、今と違って影響力がなかった。それと同じで、すぐ明日から脱原発が実現するかのような公約は、都民を騙すことになりはしないか。福島県は猪苗代湖から始まって、只見川の電源開発、さらには浜通りの原発というように、東京へ電力を供給し続けてきた。それがあればこそ、現在の東京の繁栄があるのだ。脱原発を主張する人たちは、それを実現する工程表を都民に出す責任がある。今日の産経新聞でも触れているように、新潟県の柏崎刈羽原発一基の発電を生み出すためには、約58万平方キロメートルが必要となり、それは山手線の内側にソーラーパネルを敷き詰めたのと同じ広さだとか。それを風力発電に換算すると、茨城県の霞ケ浦に風車を敷き詰めなくてはならないのである。景観どころではないのだ。そこに輪をかけて、電気料金は今の2、3倍になるという。方向性は脱原発であったとしても、そこにいたるまでには、いくつかのハードルを越えなくてはならないのだ。細川元首相と小泉元首相を持ちあげるマスコミは、そこまでは考えてはいないのである。間違っても東京都民は、あのときの過ちを繰り返すべきではないだろう。
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