安倍首相を罵倒するにも、それなりの節制が求められるだろう。「安倍を吊るせ」とツィートし、それをネットで拡散することで、反安倍感情を煽ろうとするほど愚かなことはない。昨年の「新語流行語大賞」に「日本死ね」が選ばれるなど、パヨクと呼ばれる勢力が手段を選ばなくなっている。「吊るす」というのは、白人至上主義者が好んで口にするセリフであり、まさしくヘイトそのものなのである▼最近のマスコミも異常である。森友学園、加計学園と続いた騒ぎは、大山鳴動して鼠一匹であった。それでも懲りずに、安倍内閣に因縁を付けているのである。もっともやるべきことがあるのに、その程度しかできないのは、日本に本当がリベラルが存在しないからだろう。いくら考え方が違っていても、討論を通じて相手の考え方を変えるだけでなく、自分も変わることを許容できなければ、話し合いは成立しないのである。一方的に対話を拒否することは、ある意味では暴力に加担することなのである▼齋藤純一が『自由』において、ミッシェル・フーコーを論じながら「自ら自身に対して自由を創出する『自己への配慮』には自ら自身の行動に対して距離をとり、それを問題化する『思考』の運動が含まれている」と書いている。変わることができる自分でなければ、自分の自由をも否定することになるからだ。パヨクと呼ばれる勢力は、リベラルとはまったく異質なのである。
←応援のクリックをお願いいたします。
![]() |
白虎隊探究 世紀を超える精神風土 会津教学と藤樹学への招待 |
ラピュータ |