頭だけよくても前川非常識
前川を英雄にしたテレビかな
天下り出会い系も不問なり
偉そうな前川喜平出会い系
道化なり臆面もなき前川は
分が悪く味方のマスコミ批判する
文科省膿を出すときぞ逃がさない
官僚やテレビの言うこと嘘くさい
前川のどこが清廉潔白か
籠池と同じく前川恥さらし
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白虎隊探究 世紀を超える精神風土 会津教学と藤樹学への招待 |
ラピュータ |
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世の中の動きを見ていると、絶望的な思いに駆られてならない。あまりにも人間の愚かさを痛感させられるからだ。それでもなお人間に希望があるとするならば、少しでも改善していこうとする志向性が備わっていることだろう▼田中美知太郎の『哲学初歩』は、人間は何をなすべきかを教えてくれる。「私たちは、私たちが不完全であるからといって、私たちの生活を、よりよくする努力をすてることは出来ないし、またすてる必要もない」。それは人間が「より掛かることの出来るような根底を、自分自身のうちにもつものではない」という中間者的な存在であることを意味し、「それだけにより掛かろうとすれば、私たちは無の深淵と呼ばれるようなところへ、落ちて行かなければならない」というのだ▼その一方で、人間はイデアを目指す存在なのである。「私たちが中間にあるのは、中間に支点があるためではなく、私たちが生まれながらにして、生命を愛し、知ることを求め、幸福をこいねがうというような仕方で、存在と善との、もう一方の極に引かれているからなのである」と書いたのである▼田中の主張は明確である。人間は神ではないがゆえに、日々研鑽を惜しんではならないのである。あたかも神になったかのような言動をする者たちが世に溢れているが、神ならぬ身としての謙虚さが人間には求められるのである。
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