朝日新聞は日本を貶めることが正義だと勘違いしている。あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」の再開を喜ぶのは、そこから抜け出せないからであり、イザヤ・ベンダサンが『日本教について』において指摘した「朝日新聞の『ゴメンナサイ』」を未だに繰り返しているのである▼その本でベンダサンは、朝日新聞が中国での日本人が行ったとされる虐殺事件を克明に記載した記事について論評し、「私の責任」を認めれば「責任が解除される」と思っていることに疑問を呈したのだ。普通であれば、それが事実であれば、責任が追及されるべきなのに、「ゴメンナサイ」とあやまれば許されると勘違いしているのが「日本教」の世界だというのである。自分が行ったことが事実かどうかよりも、謝罪すれば人間関係がスムーズにいくのが日本人なのである。でっちあげであろうとも、頭を下げれば相手が理解してくれると信じているのだ▼日韓関係がこじれてしまったのは、「朝日新聞の『ゴメンアサイ』」で解決すると高を括っていたからなのである。日本人が悪いことをしたと口にしているわけだから、それなりの賠償を求めてくるのは当然の成り行きだ。「ゴメンナサイ」では済まないのが世界の常識である。我が国への批判が事実にもとづかないのであれば、堂々と自らの主張を述べるべきで、安易に妥協してはならないのである。
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