草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

イスラエル軍の反撃でハマスは窮地に立たされている

2023年11月19日 | テロとの戦い
 テロには力で対抗するしかないのである。イスラエル軍に主要な軍事的拠点を叩かれ、戦闘員の多くが死傷したことで、ハマスは「人質解放と5日間の停戦」に応じるとみられている。
 去る10月7日のハマスによるテロ攻撃に対して、イスラエルは国家の自衛権を発動し、ガザの北部をほぼ手中に収めたようだ。泣き寝入りをしていれば、テロリストは妥協しなかったはずだ。
 イスラエルという国家が、罪もない自国民が無残にも殺され、女性や子供を含めた人たちが拉致されたことを放置するようでは、ハマスが合意するわけがないのである。
 テロ組織のハマスは、人質だけではなく、パレスチナの人たちをも楯にしてきた。「歯には歯を目には目を」というのは、世界最古のハムラビ法典の言葉である。それでしか自国民を守ることができないような世界が、未だに続いているのだ。
 世界の現実を私たちは直視しなくてはならない。それと比べると我が国は、北朝鮮によって同胞が拉致されても、国家として動くことができなかった。その船が特定されていても、追いかけて助けられなかったのだ。
「諸国民の公正と信義」に信頼することが、世界平和への道だと信じて見ぬふりをしたのだ。我が国の現行憲法には交戦権がない。国家が敵と認定し、それと戦うことすら憲法上は容認されていないのだ。
 ハマス支持派の学者は、口をそろえてイスラエルの軍事的反撃を批判する。イスラエル軍が独自に救出作戦を行うことは許されないのだろうか。それは結果的にテロを容認し、それを背後で操っている国家に加担することではないだろうか。
 目前に迫りつつある日本の危機は、局所的限定された戦いとなり、パルチザンや工作員との戦闘になるとみられる。イスラエルと同じようなことになるのだ。1億2千万人の国民の運命がかかっているわけだから、我が国は毅然とした方針で臨むべきなのである。
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いかに有名国立大学教授でも駄目な人は駄目だ

2023年11月19日 | 学問
東大教授た東京外語教授ともあろう人が、一研究者である飯山陽さんに対して、あらん限りの暴言を吐いている。この2人を擁護している人たちの論調はハマス擁護であるということだ。
 そんなお偉いさんがそこまで焦っているというのは、自分たちの対外的な権威が傷つけられるからだろう。大学教授、しかも名門国立大学の教授であることは、そんなにすごいことなのだろうか。
 僕が敬愛する小室直樹や吉本隆明は、そんなアカデミズムの人ではなかった。とくに小室の場合は、大学教授クラスの人間を指導したにもかかわらず、ついぞその職にありつけなかった。その代わりに、小室を高く評価したのは、世間一般の人たちであった。このことを私たちは肝に銘じるべきだろう。
 吉本にしても、自分で『試行』という雑誌を発行して、権威を拒否する自由な学問の場にこだわったのである。その取り巻きは私立大学の卒業生が多かった。どんな地位にあるかよりも、これまで何をしたか、これから何をしようとしているかが問題なのである。
 マックス・ヴェーバーは「私講師やまた研究所の助手が他日正教授やまた研究所の幹部となるためにはたゞ僥倖を待つほかないということである。この傾向はむしろ従来以上であろう。全くそれが偶然の支配下にあることは想像以上である。恐らくこれほど偶然によって左右される経路はほかにないであろう」(『職業としての学問』尾高邦雄訳)と書いている。
 また、ヴェーバー自身が「私が敢えてこの点を強調するのは、私のような者でもこうした全くの偶然のお陰で、ほかにも私と同年配で疑もなく私以上に適任の人があったにも拘わらず、まだ若いころ一学科の正教授に任ぜられたからである」(『同』)とも謙遜している。
 あまりにも日本は権威主義であるために、その肩書で判断したがる。しかし、今回の飯山さんへの攻撃の仕方が、あまりにも感情的なのを目の当たりにして、とんでもない国立大学教授がいることを、私たちは知ったのではないだろうか。アカデミズムには常識がない人間が多過ぎるのであり、それが原因で優秀な人材は海外に逃げてしまうのである。
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